私は、今、流行の断食(ダイエットや健康維持、病気を治す)では、断食の本来の趣旨とは相当、はずれているのではないかと危惧しています。
このあたりで、本来の断食の意義を根本から学ばないといけないのではないでしょうか。
その意味では、2000年の歴史を持つ、修道院の断食から学ぶことは非常に重要で、断食本来の目的に適うのではないかと確信しています。
NHK・BS時代劇として放送された「塚原卜伝」(堺雅人主演)で、卜伝が長い修行で疲れ果て、その戦いの傷を癒し、新しい剣の道を究めるため1000日の断食と玄米菜食の繰り返しの修行に入り、1000日目で開眼するということが詳しく描かれていました。
しかしながら、このような断食は、2000年の修道院では全世界規模で行われていますので、卜伝や比叡山の修行というような特殊なことではなく、方向性さえ誤らなければ、誰でも本質的で根源的な断食が可能です。
では修道院断食のような精神性を重視した断食とはどのようなことでしょうか。
修道院の断食精神を的確に表す聖書の言葉があります。
「見よ、お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし、神に逆らって、こぶしを振るう。お前たちが今しているような断食によっては、お前たちの声が天で聞かれることはない。そのようなものがわたしの選ぶ断食、苦行の日であろうか。葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと、それを、お前は断食と呼び、主に喜ばれる日と呼ぶのか。わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で、あなたの傷は速やかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し、主の栄光があなたのしんがりを守る。(旧約聖書イザヤ書58:4-8)」
預言者イザヤの語った理想の断食は、断食する者の本流ではないでしょうか。
この本質的な断食こそあなたと周囲、そして地域を国家さえ変革していくことになるでしょう。
1・あらゆる束縛、縄目から解放され、自由になること
2・もっとも貧しい人々を助け、解放すること
3・いつも自分の持っているものを手放し、自由になること
4・徹底した謙遜と低い姿勢にさせられていく
5・内面を浄化し、自分の内側をよく知り、自分の人生を見直し
6・いつもの悪習慣を断ち切り、方向を180度変えることの勇気が与えられること