人類最初の誘惑、人類最初の罪は、旧約聖書の創世記3章に書かれているアダムとイブの犯した食欲の罪でした。
そこにはこのように書かれています。
・・・(新共同訳聖書)3:1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」3:2 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。3:3 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」 3:4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。3:5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。3:7 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。・・・
ここに書かれていますように、私たちは食についても健康についてもある種の固定観念を持ってしまいます。
この食物、食品がからだにいいとか、この健康法がいいとかそのように絶対化してしまい、固まってしまいます。
それをどこかで打ち破らないと脱出することができません。
その弱さを賢い蛇に指摘されてしまい、まんまと誘惑に引っかかりました。
これを食べれば何でも神のように分別がつくという誘いです。
たとえば私たちはこの本で得た健康の知識は間違いないとか、あそこで学んだ健康法だけがすべてだと思い込んでしまいます。
この固定概念を打ち破るには、どこかで一度、リセットすることが必要です。
そして食だけではなく、いろんな固定概念に縛られてしまっています。
そうしたものをリセットするのが、ファスティングなのです。
つまりファスティングは、様々な固定概念という縛りから解き放たれることなのです。
自由になることです。
ドイツの修道士はこのようにいいました。
「断食をすると日常の習慣というしがらみから自由になれますよ。そして断食をすると、あなたはご自分という存在が、はっきりとお分かりになるでしょう。断食というのは、ただ何も食べないというだけではなく、もっとずっと実り多い体験なのです」と語られたのです。
日本では今、ファスティング・断食という言葉が、健康だけにのみ注目されていますが、それでは蛇に見事に騙されてしまい、ファスティングの足元を見られてしまいます。
神父さんが言われたようにしがらみから自由になることなのです。
そうすれば自分に適した食事も生き方も可能となります。
まさに適食ファスティングです。からだをリセットした後、どのようにコントロールするか、的確な指導者が必要なのです。