日本で宗教的断食を実行する人は、かなり少数でしょう。
キリスト教では、カトリックの修道院の一部の人々、プロテスタントでは、福音派の一部と聖霊派だけ。
最大の教派、日本キリスト教団は皆無です。
イスラム教徒は少数なので、断食は戒律として実施しているはずです。
後はヒンズー教と自覚しない無自覚ヒンズー教徒であるヨガを信じているグループが断食を取り入れています。
高島市で初めて知ったのですが、断食施設をするというと100%、禅宗かといいますが、禅宗が断食をしているなど聞いたことがありません。
なぜか座禅と断食を勘違いしている高島市民の感覚が分かりません。
断食を頭から否定するのは、日本医師会、新興宗教はまず全部です。
このことから、こうした日本人宗教家たちの断食否定の根拠は何かということです。
すでにこのブログで書いたことですが、一言でいえば、日本の信仰者たちは、全員、日本教徒だからというしか、説明することができません。
なぜなら、世界三大宗教は断食と信仰が切っても切れない関係にあるからです。
しかし、日本教はその宗教の一番、大切な中心部分をまこととしややかに抜いてしまうという不思議な魔力を持っています。
それはその宗教のもつ戒律なのです。世界三大宗教は、その戒律の中に断食が入っています。
たとえばキリスト教ですとプロテストントが成立する16世紀までの約1500年間、キリスト教国では、復活祭までの四旬節の40日間は神父、信徒は40日断食をしていたのです。
しかし、カトリックが日本に入った戦国時代、また明治時代にプロテストタントが日本に入った時も戒律を抜いてしまい、お題目を唱えるのみになりました。
また、仏教でも然りです。
親鸞の教えは念仏を唱えれば、戒律は守らなくてもいいということなので、まさに日本教そのものです。
イスラム教徒も日本におられるはずですが、私の身近なところにはいないので、まさかキリスト教や仏教のようにはなっていないと思うしかありません。
では、宗教以外に断食する人はなぜ、断食するのかといいますと、「断食健康信仰」だということでしょう。
これも日本教徒の中核は、人間関係教なので、誰かにこう見られたい、という人間関係の中の断食健康信仰なのです。
断食で神と真剣に向い合い、対話するなどとはまったくあり得ません。
ゆえに断食の本質からは遠く離れた日本教の枠の中での断食信仰が今、まかり通っているということになります。
実につまらないからです。
真剣な断食を指導いたします。
ぜひ「藤樹の宿」でほんものの断食に出会ってください。