【コルナロ語録 08】
残念ながら私のような節食(超少食)の優れた効用を本当に知っている人は、極めて少ない。
この世のほとんどの者は、貪欲な食に振り回されているからだ。
そして知らず、知らず飽食に溺れているのである。
このことに気が付いている者たちでさえ、こう言うのである。
「我慢して長く生きるよりも、短くても好きなように生きるのがいいのさ」と。
これはいい加減な言い訳なのである。
食を律するとは、ほんとうに幸福に生きることになるということを彼らは知らないのである。
私はこの真理を発見したのである。
彼らは知らないのである。
ゆえに私はこの生活を続け、長く生きて、世の中の役に立ちたいと願っている。
もし、私がこれまで食を謹んでこなかったら、こうして世の人々のためになり、
このような書きものも残すことはできなかったのである。
私のような節制を嫌う者は必ず言う、「生身の人間にとって、飲食を節することは不可能なことなのだ」と。
しかし、かのローマ帝国の名医にして、1500年間にわたって多大な影響を全世界に与えたガレノスは語っているのだ。
「飲食に関する規則を守っていたので病気にならなかった。
少なくとも不調が1日以上、続くことまったくなかった」というのだ。
彼もまた節食(超少食)に生き、その良き食習慣を最良の薬として生きたのである。
わが国のふたりの元首ランド、ドトナーもそうである。
(83歳の講和-01「無病法」36-37頁から)
【解説 08】
コルナロが語る超少食に対して多くの人々は
1・我慢して長く生きるよりも、短くても好きなように生きる
2・生身の人間にとって、飲食を節することは不可能なこと
ということで反論する声をアップしています。
この2つは今日も同じです。
よほど病気などで窮地に追い込まれないとコルナロのような真似はできないと
初めからこうした超少食(ファスティング)を放棄しているのです。
これは現代でも同じでしょう。
しかし、それが自らの寿命を縮めることになるのです。
そしてこのような超少食を生きる方はコルナロだけではなく、
にリストアップされていた人たちは、まさに超少食なのです。
彼らの秘めたるパワーは周囲がみな超少食であるのです。
藤樹の宿では、こうしたコルナロのように生きる生きざまを
コルナロの持っていた聖書を通して、教える時間も持っています。