【コルナロ語録 12】
私は今の自分と若者たちととってかわろうとしたくない。
なぜならたちえ壮健な若者たちでも自分の若い時のことをよく覚えているので
若者たちのことが分かるからだ。
若者たちは、まだ経験が浅いので過度な期待を抱き、
向こう見ずで、何事にも自分の体力を過信している。
また様々な危険に身をさらし、そして官能の奴隷になりやすく、
飲食に至っては、放縦の限りを尽くし、
挙句の果てには、絶対に避けたかったはずの大病に罹る。
病気と死は、若者のように養生をしない者に最大の禍いをもたらすのだ。
病気は苦痛をもたらし、死は恐怖の的となる。
しかも、現世に生きていた罪深い生活の決算として、神の裁きがくだるからである。
しかし、私にはこのような悩みも恐怖も一切ない。
まず、飲食における十分な節制によって、病気にならない体になっているからである。
また、死についても(このことは必ず肉体の死は来るものなので)恐れることはない。
むしろ肉体を離れ、神の恩寵を固く信じている。
(83歳の講和-01「無病法」44-45頁から)
【解説 12】
コルナロは自分自身が若者であった時を回想して、若者と交換など必要ないというのです。
それはコルナロが若き日に食も生き方も放蕩三昧であったことを想起しているわけです。
とくに若者の時は、いけいけどんどんで突き進んで行く自分の姿には
二度と戻りたくないといいますが、まさにそうです。
老いて若者のような生き方をするのではなく、
老いた者の生き方をコルナロは私たちに示しています。
すべてに放蕩な生き方、飲食も贅沢三昧では、待っているのは煉獄だというわけです。
煉獄だけではなく、
生きながらその苦しみを味わうことになってしまうことを警鐘しているのです。
そして自分自身が若者の時にそのようなところを通過してきた者として、
若者の時代のような生き方はなおさら繰り返すことはしたくない
というコルナロの決意でなのです。
残念ながら年老いても若者には負けておれないと食べることだけではなく、
性生活まで精力剤を飲んで快楽を求める高齢者がいます。
これも待っているのは煉獄なのです。
神のために働く最後の仕事は一体何かをきちんと探して、神のため、
人のために貴重な人生、最後のラストスパートを走りぬいてほしいものです。
高齢になり、無意味なパチンコとエロ雑誌、DVDに明け暮れる
情けない老人に成り下がらないようにしてください。
老人になっても人様のお役にボランティアの仕事は山積しています。
そのような人様のお役に立つ仕事に従事して、充実した生き方上手のあゆみをしてください。