【コルナロ語録 16】
また私の超少食(節制)に反対する者はいう。
「好きなだけ飲み、食べても一向に平気である。
毎日、腹いっぱい食べているけれども」と。
また、この人々はいう「加齢とともに体の熱が低くなり、
それを食い止めるために何でも手当り次第、好きなだけ食べる。
あなたのように極端な少食は寿命を縮めるだけだ」という。
この2つの反論は、まず、自然の法則を知らない。
そのために自然に逆らって生きているのだ。
私は私自身の観察と経験からも言えることだが、大量の食物は、老人の胃には負担になるだけで、
病の温床をつくるだけのことなのである。
したがって少食にすると寿命が縮まることなどはない。
私がその生き証人である。
私は86歳の老人だが、食もごくわずかである。
しかし、快活でエネルギーにあふれているのだ。
痛むところは何一つない。
このようなことは私一人の老人だけであろうか。
一般的常識からみても人は病気になれば、食を減らし、
または止める(断食)ると、その結果、回復するのである。
私の主張をどうして否定できるのか。
私がいうようにあなたが数週間でも超少食をしてみなさい。
どのような病状であっても、必ず、良い結果となるであろう。
(86歳の講和-02「無病法」67-68頁から)
【解説 16】
コルナロへの反対論は相当、あったでしょう。
今日、この日本でもファスティング(断食)への反対はかなり根強いものです。
断食と聞くだけで尻込みしてしまう有様です。
そもそも高島市の住人には、断食という概念が全くありません。
藤樹の宿オープンまでの改装工事に来られた方、全員がみごとにそうでした。
オープンしてもカフェを開設するまで、高島市では誰一人として、振り向かなかったのです。
そして決まっていうのは、コルナロへの反論にありますように好きなだけ食べておれば元気だ。
特に日本では、断食は完全にタブー視されているのです。
こうした現実の中で藤樹の宿では、
超少食をコルナロのように普及していこうと様々な取り組みをしています。
このようなブログを書いているのもその一環です。
しかし、コルナロが直面した反対は覚悟の上で、
「古民家ファスティング藤樹の宿」を6月にオープンしたのですが、
想像以上に高島市からは断食に誰も来ません。
高島市だけなら100年間、待っても断食には誰も来ないでしょう。
最後に残されたのは、コルナロのように80歳になってから、
元気を証明するしかないかもしれませんが、
そこまで待っていたら日本の国が存続しているかどうか分かりません。