幸福な老後を獲得する方法について「総大司教ダニエル・バルバロ宛の書簡」
【コルナロ語録 20】
私は91歳になりましたが、心身ともこれ以上に健やかで、その様子を見て、周囲の者たちは驚いています。
80歳を過ぎて、現世が地上の天国になりえるものであることを味わっているのです。
つい先日ですが、私の年齢や生活習慣に強い関心を持つ医師や哲学者などが訪ねて来られました。
いろんな質問をされ、すべての点で完全であることを知っていただきました。
さらに世の中に役に立つテーマを1日8時間も書き、
それ以外は散歩したり、歌を歌ったりして楽しんでいることも見ていかれました。
ちなみに私の声は大変、力強く、甘美です。
私が讃美歌をお聞きになれば感動されることでしょう。
これらのことは奇跡だと彼らは言いました。人は70歳を超えればいろんな病気になり、
病気に倒れずとも視力、聴力やあるいは記憶力が急速に衰えたり、また体力がなかったり、
あるいは気分が憂鬱であったり、心身面で欠陥をきたしています。
今回の訪問者の中に、私が書き物で私の健康法を試みた若い医師がおられましたが、
途中で挫折したということでした。私には特別に神のご加護があったに違いありません。
私はこうした健康、長寿は私が特別な存在だったからではありません。
むしろ他の人よりも弱く生まれてきたのです。
(91歳の講和-03「無病法」97-99頁から)
【解説 20】
91歳の時にコルナロは大司教
(カトリック教会の聖職の一国あるいは一地方の統轄者として司教の上に置かれる)宛てに手紙を書いています。
しかも自分が神から受けた健康、長寿を感謝して、捧げた献呈文になっています。
ですからコルナロは、キリスト信仰の指導者であり大司教に
これまで何冊か公にした健康長寿の本を贈呈した時に添えた感謝の手紙のようです。
自分自身の健康は特別に神に選ばれた存在ではなく、
むしろ弱く生まれた者にすぎなかったにも関わらず、
今、このような健康、長寿は自分の明確な意志、決断であったことです。
つまり健康を選択したのは、
信仰の決断だと大司教に報告しているコルナロの謙遜の姿勢に圧倒されます。