【コルナロ語録 21 】
人は中年になれば、肉体の欲望に支配されていた生活を、
理性に基づく生活に切り替えなければならないのです。
老いは若さの反意語ですが、それに応じて、
加齢とともに増加していった飲食の量を減らしていかなければならないのです。
もともと食欲のおもむくままに食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲んで、
なおかつ健康であり得るというのは自然の法則上、不可能です。
ゆえにこのような飽食を避けなければならないのです。
そういう私はこれまで食に関して、規則的で、
しかも最初限度の量で満足する生活を50年近く続けてきたのです。
このことは、最初は容易なことではなかったのです。
しかし、このような美徳が続くように熱心に神に祈ったのです。
そして神様はこの祈りを聞いてくださると確信して、努力したのです。
また、人生において重要なことであればあるほど、
達成したときの成果がそれだけ大きいものであることもよく分かってきました。
ゆえに少しずつ自分を節食(超少食)の生活に慣らしていきました。
すると食を節することが次第に苦痛にならなくなっていきました。
(91歳の講和-03「無病法」99-100頁から)
【解説 21 】
食べ物をコントロールすることは容易なことではありません。
自分で試してみたら分かります。
しかし、食べたいだけ食べるという自由が、実は自由ではなく、
自分を縛るものであることが本当に分かるのは、歳を重ねないと分からないものなのです。
私たち藤樹の宿でめざすのは、まず、安全、確実な「発酵薬膳ファスティング」を試していただき、
これでいけると確信していただくならば、全力でサポートするというスタンスをとっています。
この体制で行く方は、まず、LINEでサポートしています。
特に失敗したり、弱音を吐くこともあります。
コルナロも医師団のサポートもあったようですが、何よりものサポートは、
この書簡でその報告を読めば分かります。
つまりコルナロの信仰的決断によることです。
50年間、超少食を続けるには信仰の導き手が必要だったということです。
つまり霊的指導者と内なる光(聖霊)だったということが明白です。
それはコルナロの祈りの姿勢に現れているからです。
藤樹の宿では様々な宗教の方もおられますので、
コルナロのような決断はできない方も多いでしょうから、
支援を具体的にさせていただいています。
やはりSNSでのサポートが一番適格です。
もちろん宗教の強制など一切、ありません。
コルナロのように聖書を学びたい方がおられましたら、その方面のサポートも十分できます。
少食に完全に移行するまでが一番肝心なことです。
そして慣れたら、今度は誘惑から守られるようにサポートさせていただきます。