【コルナロ語録 24】
最後に付け加えておきたいことがございます。
それは私がしているこれらのことが無駄であると主張する者たちのことです。
彼らは、私が83歳から骨をおってまで書いていることについて、プラトンがあの有名な書物「国家」の中で語っているように、
実行不可能なことを説いているというのです。
しかし、彼らの主張に私は驚いています。なぜなら84歳から書き始めていますが、それまでにすでに40年近く、
私が節食(超少食)の習慣を守っていることを知っているからなのです。
私はこの長期間の節食(超少食)の経験と確信がなければ、このような書き物はしていないでしょう。
私が書いたものを読んで、節食(超少食)を身に着けた者たちが多数にのぼっていることを私は聞いて知っています。
また節食(超少食)を重んじた者たちは、歴史上の多くの人物が証明してくれています。
したがってプラトン「国家」に対する反論はわたしにはあてはまりません。
私のこのような確信がいささかなりとも参考になれば光栄の至りです。
(91歳の講和-03「無病法」99-100頁から)
【解説 24】
プラトンの国家論は『国家』は全10巻で構成されています。
プラトン中期の作品と考えられて、
そこで展開されている理想国家は、
ゆえにコルナロの超少食は、ユートピアだという批判があったと想定されます。
しかし、コルナロの語る超少食は、プラトンではなく、聖書の中に根拠があるのです。
それは新約聖書が語る再臨です。
キリスト教徒を天へ導き入れるため、また、世界を義をもってさばくため、
再び地上に降りてくると信じることです。
世界中のクリスチャン共通の使徒信条では、「主はかしこより来たりて、
生ける者と死ねる者を裁きたまわん」と告白しています。
コルナロはカトリック教徒ですから、この確信をもって超少食(断食)を書いています。
再臨の日に備えて、食も節制をもって身を清め、ふさわしい備えをしているのです。
このような信仰あってこその節制であり、その信仰姿勢が分からないと
コルナロがここで語っている意味がまったく分からないことになります。