【コルナロ語録・解説 25】
私は95歳に到達し、今もなお完全に健康であり、満足感にあふれている。
言葉も常に快活である。普通の老人の方をみれば、私のこうした健康は、神の大いなる恩恵であることを覚えずにはおれない。
一般には70歳になると心身とも弱ってきて、多くが気分的にも塞ぎがちになり、不機嫌になりがちである。私は幼い時から丈夫な体とは無縁で、
30歳から40歳までは特に体が弱く、ひどい病気の連続であった。
そうした前半生のことを思うとそれ以後の人生には大きな感謝の念を覚えずにはいられない。
おそらく自分の余命は長くはないが、死の不安に襲われることはまったくない。少なくとも100歳まで生きることは確信している。
(95歳の講和-03「無病法」114-115頁から)
【解説 25】
コルナロは102歳で召されたので7年前の健康講話で確信して100歳まで生きると言い切った訳です。
この確信が大事なのではないでしょうか。私も健康産業に携わって40年になります。
保険営業が17年、ファスティングの仕事が23年間です。
いろんな健康に留意している方たちを見てきましたが、まだコルナロのような確信を持っている人は見たことがありません。
23年前までファイナンシャル・プランナーでもありましたので健康維持も大きなプランの一つでした。
ですからコルナロのように95歳でもこうした確信を持つことは素晴らしいことです。
そしてコルナロはこのような健康を維持できるのは、神の祝福だと言い切っていることです。
また95歳にして多くのイスラエル民族を導いた姿を常に焼き付けていたことでしょう。
聖書の登場人物に焦点を当てていたからこそ、彼には神への感謝以外には出て来ないのです。
こうした自分を律することをして、いかなる迫害の中でも生き抜いてきたユダヤ人から今も私たちは食を律することを学ばなければなりません。
それを正しく伝える場が藤樹の宿です。
藤樹の宿で学び、コルナロのような人生に向かってください。