【コルナロ語録 29】
私には95歳にして二つの世界を楽しんでいる。
今の現世。そして来世である。来世、つまり天国を想うことは大きな楽しみである。
私は限りない神の恩寵により、永遠の生命を得ることを確信している。
神様の目から見ても好ましい食を律し、制する規則正しい生活のゆえに現世に生きる楽しみを満喫し、
その一方で神様は私に天国をも見せてくださっているのである。
来世、天国を想う毎日は実に生き生きしたものなので、このようななることを確信しているのである。
そして私が召される召され方は、いわゆる肉体の市ではない。魂が地上から天国へと移るだけのことだけだ。
こうした二つの世界にまたがる想いはきわめて心地がよく、
いわゆる肉体の死という地上の考え方とはまったく異なる世界である。
したがって地上のこの世の生を終えることに少しの不安もない。
むしろ私の心は素晴らしい天国での生活が待っているという大きな期待に満たされているのだ。
もし、読者諸氏が、私のような生き方をすれば、私と同じように幸いな人生を享受できるであろう。
なぜなら私は聖人ではなく、一介の凡人にすぎないのであるから。
(95歳の講和-03「無病法」121-122頁から)
【解説 29】
コルナロは総司教のも健康に関する証を書いています(超少食実践者・コルナロ語録 20~24参照)。
そしてカトリック信徒として当然ですが、天国のことを明確に見据えて生活をしていますが、
コルナロは超少食で、節制した生活のゆえに健康であり、神の国の建設に働いたがゆえに、
コルナロ自身が、天国の楽しみを明確に見ていたのも素晴らしいことです。
クリスチャンはこの来世を望み生きる者ですが、コルナロのような確信を持つことは実に幸いなことです。
藤樹の宿では、コルナロのように聖書に生き、二つの世界を楽しんで生きる生き方を明確に示していきます。
藤樹の宿でそれを会得してください。必ず、みなさんの人生は、今より数百倍、数千倍も楽しく生きることができます。
コルナロは凄いと思うのは、彼ほどの働きをしても聖人を望まず、一市民として凡人でいいという自己肯定です。
多くの者は自分の名誉を後世に残そうと勲章授与のためにどれだけの努力をすることでしょう。
バチカンの勲章(聖人に選ばれること)すらまったく眼中になく、後世にコルナロが残したのは、
まさに超少食と言う節制に生き、充実した人生を勇ましく生きたことでした。
そしてコルナロが書き残してくれた最大の功績は、「勇ましく高尚な人生」だったのです。
その生き方こそ、後世にほんとうの意味で名を残すことになるのです。