1・コルナロはヴェネツィアの貴族であり、
私は貧乏百姓の家に生まれ、お金の苦労をして何とか大金持ちに一時期はなりましたが、
それもつかの間、今は年金生活者であることでしょうか。
ただコルナロのような資産家ではありませんが、
パウロのように「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。
「満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。」(新約聖書フィリピ人への手紙 4:12)
という知恵は与えられていますので、これからもコルナロの実践した超少食を実践して、102歳をめざします。
2・コルナロのようなカトリックのクリスチャンではないことです。
しかし、正統派のクリスチャンとして、来世・天国を信じ、罪のゆるしを信じ、使徒信条の信仰に生き、
人生の指針を聖書を通して確認し、祈って生きていることは同じです。
ただ、超少食というファスティングに関しては、コルナロの生きた時代でも現代でも
コルナロのような食を律する節食の生き方をする神父、牧師は極めて少数です。
また、信徒に至っては、とくに日本ではほとんどいないでしょう。
3・超少食の中身が違うことです。
当然、ヴェネツィア時代でしかも500年前ですし、食の環境は大きく異なりますが、
それでも食べる量をかなり減らしていますので、食べる量と咀嚼の数です。
コルナロは、肉とワインを少しメニューに入れていますが、藤樹の宿方式では、
マクガバンレポートでは、世界最高の健康食、「元禄以前の日本食」を再現して提供しています。
酒は一切禁止、その代わりに発酵食を使用しています。
麹、酒粕、味噌、醤油など超安全な発酵調味料と発酵食品を厳選して、提供しています。
藤樹の宿のメニューはコルナロの選択したメニューよりも健康食であると確信しています。
4・コルナロは、60年間、超少食を実践したのですが、自らをファスティングと明確にしなかったことは残念でなりません。
ここまで聖書を引用し、また教職者に対して、超少食を実践のススメをしているのですから、聖書の語る断食として、
自分の超少食を規定して、大いに論ずる必要があつたのではないかと思います。
なぜ断食として捕えなかったのか不思議でなりません。