明日(4月1日)は、25年前に召された妻、洋子の命日です。
これは洋子と私とだけの会話なので、嘘だと思い、信じない方は結構ですが、
信じる方は今から連載します「断食救人類の書」の序文として、まず、読んでいただきたいと思います。
が運営する「オサンリ祈祷院」(3万人収容できる断食施設)に行き断食しました。
この時が、1993年2月11日で満43歳でした。
この施設の運営、規模、そして韓国のキリスト教会に与えた影響など案内してくださった
ヨイド純福音の長老さんから詳しくお聞きしました。
その時にまさに神からの啓示といいますか、直感的に「これこそ(断食祈祷)今まで私が求めていたものだ」と受け止めたのです。
私が高校時代から27年間、脳裏から離れなかったのは、
どうして日本のキリスト教徒の人口が、国民の1%以下(現在、0.6%)なのかという疑問でした。
なぜならば韓国のキリスト教は1970年代に急成長し、何と全国民の30%に達し、
韓国のクリスチャン人口は2000万人を超えていたのです。
この衝撃を受けて、私は日本で本格的な断食祈祷院を建設する、と決断したのです。
そして帰宅してから、すぐに妻、洋子にこの衝撃を伝え、このように宣言しました。
「これまで保険の営業で得た利益は神の祝福であったが、
これからは、日本国のために断食祈祷を推進していく施設を建設するので協力してほしい。
ついては保険代理店の会社(愛恵企画他5社)は、あなたと社員に全部、任せるので宜しくお願いしたい」と。
妻も驚いた様でしたが、よく私の報告を聞いて、
「分かりました。私はアメリカンファミリーを担当し、家庭経済を維持します。
後のビジネスは社員に任せましょう」と言ってくれました。
これが私の断食祈祷に目覚めた時の前後の出来事の一部始終です。
もちろん妻、洋子との会話ももっとたくさんありますが、ここでは省略させていただきます。
生まれて初めての断食を体験します。
水だけの韓国キリスト教会方式です。
私は予備断食を1週間して、次に1週間を水だけのいわゆる本断食に入りました。
この時に毎日、水を10㍑飲みました。
予備断食の時に3㍑は飲んで備えていましたので、上乗せして7㍑で合計10㍑を毎日、飲んだ訳です。
この時の体重が80㎏でした。病気はなかったのですが、肥満体(これもある意味では病気)でした。
そしてこの1週間の本断食で宿便が出て18㎏の減量と(標準体重に戻った)なりました。
身体が軽くなり、何か別人のようで、本断食の凄さを体験しました。