しかし、思わぬことがその1週間後に待ち受けていたのです。
それは妻の急死でした。
原因は、心筋梗塞で42歳の若さでした。
朝、家族で一緒に朝食をして私は名古屋の事務所へ行き、
昼に自分のベッドの上で死んでいたことを母から電話で聞きました。
あまりにも突然の死でしたが、ここで断食施設を断念するか、
それとも保険代理店の仕事を継続するか否かを決めなければなりませんでしたが、
私は断食施設を建設することに賭けました。
そして1年後にこれを担うパートナーと再婚しました。
そして1年後の1995年10月に豊田市に土地が与えられ、
名古屋の本社の売却費と会社の退職金すべてを捧げて、
移住し、そこに7棟の断食施設を建設しました。
そこで21年。
私はこの21年間、ある意味では無駄な時間で遠回りの歩みでもありましたが、
ただ一つだけ、ファスティングしてきた経験と事実は残りました。
この体験は私自身しか味わえないものであり、これを残すために
そして25年前に妻、洋子と約束したところにようやく戻ってきました。
青写真も専門家に書いていただきましたので、今も大事に保管しています。
しかし、私が描くほんとうの青写真は、私の育った実家でもなく、21年間、
運営していた豊田市の断食施設ではありません。
いずれも神の導きではないからです。
マザーレイク(母なる湖)高島市へと導かれたことは、はなはだ良かったのです。
しかし、高島市に安住することはないでしょう。
ここが出発の地であり、始まりの地であり、出エジプトの地に過ぎません。
さらに環境の良い、優れた施設を与えられるならばそこに導かれていく可能性はあります。
ファスティング(断食)は、日本において、
断食マニアがするものと狭い領域の認識が圧倒的に多く状態です。
しかし、いつか必ず、韓国のように受け入れられる時が来ると信じています。
そして甲田光雄医師が多くの著作で語っておられたように
超少食=断食こそ、日本と世界を救うものとなります。
そのことを信じて「断食救人類の書」を書き進めていきたいと思います。
そしてこれから発足していきます
「コルナロ会」や「高島発酵元気の会」に参加していただき、
さらな健康を保ち、維持していただきたいと念願して序にかえさせていただきます。