「腹八分に医師要らず」は、昔から伝えられることわざです。
同じようなことわざに「少食は長生きのしるし」、「節制は最良の薬」、「大食短命」、
「腹八分に病なし」、「腹八分目卑しからず」、「腹も身の内」など日本に伝わる健康訓です。
英語圏では、Feed by measure and defy the physician.(適度に食べて医者を無視せよ)、
Measure is medicine.(程よさは薬である)、
Much meat, much disease.(食べ物が多ければ病気も多い)
など聖書の戒めからの類似ことわざがあります。
甲田光雄医師は、さらに後、「一分」を足して、「腹七分に医師要らず」を提唱しておられます。
少食ならば、「腹六分」にすべきだが、これでは厳しすぎるので真ん中をとって「腹七分」というわけです。
コルナロも同じく「腹七分」で102歳まで健康で生涯を全うし、
日本では日野原重明医師が、105歳まで医師現役で生涯を全うされました。
コルナロも日野原医師もいずれも敬虔なクリスチャンですが、
このような「腹七分に医師要らず」を生涯、実践するには、死生観が重要な意味をもっています。
コルナロ語録をこのはてなブログで書きました(2月28日)が、
再度引用しますのでコルナロの言葉に耳を傾けましょう。
【超少食実践者 コルナロ語録・解説 10 至福の老年を味わってほしい】
あなたが健康で長生きをして、しかもその間、病気もひとつもせず、
最後は平和のうちに静かに息を引き取るという幸福な生涯を願う者は、誰でも飲食を最小限に定める必要がある。
この生活を送れば、血液はまったく汚れることもない。そして胃から頭へ登る悪気はない。
そして心は常に穏やかで、妙なる喜びに満たされるのだ。
そして過去の悪癖から解放され、神に感謝し、長生きを楽しみとすることができるのだ。
また死に備えることに際しても幸福な死を予感しているのだ。
したがって私には死の恐怖などいささかもない。
苦痛や高熱をともなう病気にも一度も見舞われたこともなく、安らかにこの世を去ることができるのだ。
それはちょうどランプのようなものだ。
すなわち油がなくなれば、火が静かに消えるように、地上から天国へと穏やかに移るだけのことなのだ。
快楽を追い続ける者たちは、長寿は幸福ではなく地獄となる。
75歳以上の人生ではないなどという者がいるが、彼らは間違っている。
私は断言できる、「老年の生活は実に楽しいのだ。実に素晴らしいのだ。
すべての人々が、私の年齢にまで達して、この幸福な老年の生活を享受できようになってほしい」と。
これらのことは、私のこの文章を読むみなさんに対して切に願っていることなのである。