まずは白米をまず即刻、食卓から追放してください。
レンジでチンが売りのサトウのコメなどすぐ食べられる白米パック、また白米入りのレトルト食品はすべて廃棄してください。
まず、白米と断ち切りをしてください。
日常の食生活から白米を追放しないと白米というマイドラックからの脱出は不可能です。
白米はまずドラックなのだということをしっかり認識してください。
まず主食を玄米にしましょう。
この玄米菜食ですが、決してマクロビ原理主義に陥らないでください。
ただ白米信仰に陥っている場合、よくあるのは、
「玄米菜食に移行したいのだけれども、
白米がまだ台所にあるので、それを使い、徐々に減らしていけばいい」というのは、非常に甘い考え方です。
まず、これでは玄米菜食に移行するのは不可能です。
どうしても処分できない場合、妥協して、やはり白米信仰に確実に引き戻されます。
それだけ白米食は美味しいからです。
ゆえにいつでも白米信仰に引き戻されることは100%間違いありません。
白米中毒と言うマイドラックをまず追放することから、すべては始ります。
なぜ白米がマイドラック化したかといいますと玄米を精米して、本来のお米がもっているものをそぎ落としてしまいます。
つまり本来の栄養素とカロリーが分離されてしまい、カロリーだけの物体になってしまいました。
最初は小石川療養所など病人食だったのですが、江戸の裕福層に、銀シャリは美味いということで急速に広がり、
浮世絵が盛んになり、
戦後の1960年代の高度経済成長期を「昭和元禄」ともいいます。
徳川将軍は、4代目家綱から、綱吉の代になっていました。
政治は明らかに武断政治から文治主義へと転換された時代でした。
そして商人の勢力が増大し,諸大名の財政が徐々に町人に左右されるようになり、
貨幣の改鋳といった財政建直し策が打出されていきました。
しかし元禄末期には、柳沢吉保の登用で「生類憐みの令」などが、出されて悪政を招き、
町人層中心に白米信仰が根付いた時代です。
ゆえに1977年のマクガバン・レポートで、世界一の理想食は、元禄以前の玄米菜食の日本食であると打ち出したのです。