食の誘惑は、マタイによる福音書の荒れ野の試みで明らかなように
しつこく攻めて来るものでまさに人間の本能の中で最も厄介な欲望です。
ですからここに登場する悪魔(サタン)は、
「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」と攻撃してきました。
後日、イエスは2匹の魚と5つのパンを5000人の会衆に配られると
いう奇跡を起こされますが、それはここで答えられた
マタイによる福音書
4:4 イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」
を実現されたものでした。
つまり悪魔は悪魔の言葉で誘惑を仕掛けてきたのです。
私たちも食の誘惑は言葉で、また見た目や臭覚、
そして誘う音でいつの間にかとんでもない食に支配に引きずり込まれていきます。
とくにテレビコマーシャルや食、料理番組は
巧妙に食の欲望を誘発する仕掛けで満ちています。
そして食品会社のコマーシャルに支払う広告費用は膨大な金額なのです。
自動車、薬品と食品の宣伝が支配していますので、
まず、食の誘惑に勝つことができるのは、
自分の力で悪魔の策略である食の誘惑には勝てないということを
知ることから第一歩は始ります。
ではどのように勝つことが可能なのでしょうか。
それも聖書に回答があります。
それは
マタイによる福音書
4:4 イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」
とありますようにまず私たちが生きるというのは、
パンすなわち食物をガツガツ食べることではなく、
その前に私たちが食べるのは「神の言葉だ」とイエスは言われたのです。
ではその「神の言葉だ」とは何かですが、
それは人類の知恵の宝庫といわれる旧約聖書にその回答があります。
モーセが奴隷たちを導いてパレスチナに向かい、40年の砂漠の旅を続けますが、
その時にこのイエスラエルの民族を導いた神は
飢えに苦しむイスラエルにマナを与えられたのです。
このマナは40年間の荒れ野であるシナイ砂漠の地に
実際に与えられた天からの食だったのです。
出 16:35 イスラエルの人々は、人の住んでいる土地に着くまで四十年にわたってこのマナを食べた。すなわち、カナン地方の境に到着するまで彼らはこのマナを食べた。
11:4 民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、イスラエルの人々も再び泣き言を言った。「誰か肉を食べさせてくれないものか。
11:5 エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。
11:6 今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない。」
11:7 マナは、コエンドロの種のようで、一見、琥珀の類のようであった。
11:8 民は歩き回って拾い集め、臼で粉にひくか、鉢ですりつぶし、鍋で煮て、菓子にした。それは、こくのあるクリームのような味であった。
11:9 夜、宿営に露が降りると、マナも降った。