食の誘惑を体験する施設が、ファスティング施設です。
ですから極めて環境が大事となります。
そして2000年の間、
世界中にファスティング施設を展開してきたのはほかならぬ
どこでも修道院は人里離れた山の中、断崖絶壁の上とか島、砂漠の中などに建設されました。
しかも食べ物を販売している商店街とは相当、離れたところに建設されています。
これは食の誘惑がいかに大変な悪魔的なものであるかを知り尽くしているためです。
まさにイエスの荒れ野の誘惑を全身で受け止めれば
そのようなところに建設せずにはおれなかったのです。
こうしたところで修道院ではファスティングとプレイス(祈祷)を
朝、3時には起床して実行しました。
そして1日1食、朝から自給の野菜、ハーブを栽培したのです。
そのハーブで修道院を訪ねて来る病人を治療したのです。
この著者、ベルンハルト・ミュラーさんはこのように書かれています。
体験された修道院は、ドイツ・聖ベネディクト会(男子の修道院)で、
ミュラーさんを案内された神父はこのように語られました。
「断食をすると日常の習慣というしがらみから自由になれますよ。
そして断食をすると、あなたはご自分という存在が、はっきりとお分かりになるでしょう。
断食というのは、ただ何も食べないというだけではなく、
もっとずっと実り多い体験なのです」と。
まさにこの神父さんがミュラーさんに語られたように、
生活習慣、食習慣をまずファスティングでリセットし、自由になることです。
そしてあらゆる縄目から解放されることこそファスティングの本質なのです。
日本には150箇所くらいの断食施設が存在しますが、
この神父さんのいうファスティングの本質をどこまで理解しておられることでしょうか。
著者のミュラーさんはこのように語ります。
「断食はパラドックスそのものを、つまり相反するものを内にかかえている。
喪失することで獲得し、減少によって得るものが増える。
より少ないことがより大きくなる。あらゆる時代を通じて、
多くは儀式の形をとって行われてきた禁欲の行為は、
人類遺産のなかでも欠かすことのできない知恵のひとつである。
その禁欲の関門を通るとき、人間は新たなる力を手にするのだ。」
そうなのです。
ファスティングは、人類遺産の中でも最も貴重な食をセーブする世界遺産なのです。
そしてファスティングほど奥の深いものはありません。
私はこのファスティングに関するブログをこうして書いていますが、
1万回、書いてもまだまだです。
天に召されるまでファスティングについて書き続けていきます。