エジプトを出たイスラエルの人々は、シナイ半島を行進していくのですが
最大の問題は、食糧と水でした。
砂漠では水は命そのものでメリバの争いなどは深刻な事態を招きます。
そして食糧も大きな問題で、マナは重要な役割を果たします。
出エジプト記ではこのように書かれています。
16:13 夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。
16:14 この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って
薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。
16:15 イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。
彼らはそれが何であるか知らなかったからである。
モーセは彼らに言った。
「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。」
このマナの正体について唯一、書かれた正体はここだけです。
後は想像するしかないのですが、
私はファスティングを推進する仕事を25年間していて、その経験から、
マナは発酵食品であったと確信しています。
世界のどの国でも発酵食文化があり、
その国民の胃袋を満たし、健康を支えています。
日本の代表は麹です。
麹は日本の食文化では欠かせない菌で、日本のマナといってもいいでしょう。
荒れ野40年間の砂漠で食糧を満たしたマナは、
イスラエルの砂漠時代の発酵食であったことは間違いありません。
そしてカナン(パレスチナ)に入ったら消えたのです。
カナンには別の発酵菌があったようで、
荒れ野でイスラエルを養った菌とは違っていました。
イスラエルの人々は、それから国家を建設していきます。
そして王国が誕生しますが、周辺の大国(アッシリア、バビロニア)に滅ぼされ、
8:3 主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。
人はパンだけで生きるのではなく、
人は主の口から出るすべての言葉によって生きる
ことをあなたに知らせるためであった。
とあります。
ここではマナは、神から与えられる神の言葉に変化しています。
バビロン捕囚でもかつて自分たちの先祖イスラエル民族が
エジプトで経験したこともない飢餓状態と同じような飢餓と
全く異なる食生活の中で神が与えたマナを単に食物としてのマナではなく、
神の言葉として置き換えた申命記史家の判断は実に懸命な解釈でした。
そしてナザレのイエスが、
神の子として活動する前に荒れ野の試みを受けた時、
この申命記を用いたのです。
マタイによる福音書
4:3 すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。
「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
4:4 イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」