イスラエル民族でも生き残ったのはユダ族だけで、
それからユダヤ人(または民族)と呼ばれるようになりました。
強制連行されたバビロニア帝国では贅沢な食生活にふける帝国の姿でした。
その食生活に巻き込まれず、シナゴークを建設して子供たちに聖書の教えを伝え、
そして食の戒律も教えて、家族でも継承していきました。
中でも定期的なファスティングを実施し、
そして私たちは日頃食べる食物だけではなく、
「人はパンだけで生きるのではなく、
人は主(=ヤハウェなる神の名)の口から出るすべての言葉によって生きる」と
申命記で明記された聖書の言葉に生きた民族となっていきました。
それはキリスト教にも見事に継承されていきます。
そしてイエス・キリストは「主の祈り」を弟子たちに教えられました。
それは今日、世界の35%を占めるキリスト教徒たちが、
毎週集う礼拝で必ず、唱えられるものです。
この祈りのように生きるという告白です。
「主の祈り」
天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。
御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。
ここで重要なのは、「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。」です。
毎日の糧を神に求め、感謝することなのです。
食をコントロールすることは人間の力ではできないのですから、
まず、神に求めることを基本姿勢にしないといけないことなのです。
ゆえに食べることも食べないことも神の前の導きで決断して、進むことができます。
私は過食の方たちのケアーではここを強調します。
今も世界の35%を占めるキリスト者が唱える主の祈りが、食事の基本なのです。
そして食のコントロールは自分の力ではないことを知ることから始まります。