食を制する思想の大家がコルナロです。
再び、コルナロの言葉に耳を傾けましょう。
今こそコルナロのすすめに従うことが必要な時代だからです。
若者たちは、まだ経験が浅いので過度な期待を抱き、向こう見ずで、何事にも自分の体力を過信している。
また様々な危険に身をさらし、そして官能の奴隷になりやすく、飲食に至っては、
放縦の限りを尽くし、挙句の果てには、絶対に避けたかったはずの大病に罹る。
病気と死は、若者のように養生をしない者に最大の禍いをもたらすのだ。
病気は苦痛をもたらし、死は恐怖の的となる。
しかも、現世に生きていた罪深い生活の決算として、神の裁きがくだるからである。
しかし、私にはこのような悩みも恐怖も一切ない。
まず、飲食における十分な節制によって、病気にならない体になっているからである。
また、死についても(このことは必ず肉体の死は来るものなので)恐れることはない。
むしろ肉体を離れ、神の恩寵を固く信じている。
コルナロは自然死を確信していました。
そして生涯がすべて素晴らしく生きるという確信を持っていました。
それは超少食を生涯続ける強い意思があったからに他なりません。
私は病死ではなく、自然死でこの世を去っていくであろう。
それは苦痛もなく、安らかな死である。
しかし、ずっと先のことではなく、私はこれからも先、かなりの長い年月、
健康で快適に過ごし、この素晴らしい生を謳歌するであろう。
この世界は実に素晴らしい。しかし、この素晴らしい人生は、節制(超少食)してこそである。
その経験者しか分からないのではないか。
いずれにせよ、できる限り、多くの人々が、健康と長寿を願うならば、
私の健康法、私の習慣に倣ってほしいものである。
健康、長寿はこの世のいかなる財宝にも勝る。
どんなに莫大な富を得ても、病気で苦しむようでは、
ほんとうにどこに真の幸福はあろうか。
まことにまことに食の節制(超少食)こそ、
神がもっとも喜ばれることなのである。
また節制は自然の理に適い、また理性的にも理に適うことである。
そしてあらゆる知恵は、節制にある。
そして節制は、私たちの人生観に積極性を与え、
すべての人生の営みに活力をもたらすのだ。
実に宇宙の法則は、節制(超少食)の食習慣を支持しているのだ。
深い霧が、陽の光を浴びて晴れるように、
人生のすべての苦しみも跡形なく消えていくのである。
まことにまことに飲食を慎む者は、鋭い五官、冴えた頭脳、
優れた記憶力、軽やかな行動力などに恵まれ、精神(霊的にも)に、
自分にまつわりつくあらゆる束縛から解放を味わう。
そして真の自由を味わう境地に到達するのである。
すなわち一生涯において、心(霊)と体において、
現世で得られる最大の幸福が与えられるのである。
ほんとうの幸福とは何かです。
コルナロのいう「健康、長寿はこの世のいかなる財宝にも勝る」
という天に宝を積むことを私たちは忘れないようにしましょう。