コルナロ語録は今回で終了します。
95歳になってもコルナロは健康に関する本を書いています。
日本でもジェロントロジーが言われています。
人生100年時代を見据えたライフプランの再構築が必要ですが、
コルナロはそのお手本なのです。コルナロの言葉を聞きましょう。
高齢まで生きることが確実視できることは大きな利点がある。
それは極めて妥当な判断である。
つまり、食において非常に節度のある規則的な生活には病気は生じる余地はないからだ。
病死などなく天寿を全うできるからだ。
厳格な食の養生によって病気の原因が日々、とり除かれていくからである。
健康、不健康は、血液の状態と体液の質とに関係している。
それゆえに食欲ではなく、理性にしたがい、飲食を慎み、
自然が本当に必要とする量だけを食べておれば、いかなる病気に罹ることはない。
すなわち私のような生活であれば、血液はきれいになり、悪い体液は除かれ、
すべて完全に調和のとれた状態となるのだ。
もちろん人はどんなに養生に努めても、最後には必ず死を迎える。
私は同じ死でも病気や苦痛をともなわず、召されることである。
私は自分が平和のうちに静かに息を引き取るだろうと確信する。
私は喜びに溢れている。
食欲もある。
完全に熟睡する。
五官は完全で頭脳も明晰である。
判断が曇ることもなく、記憶力も良い。気分も最高である。
衰えはない。朝晩の祈祷では感謝で賛美を歌わずにはおれないのだ。
ああ、素晴らしい我が人生よ、
人間が享受できる幸福のすべてに満たされているとは何と恵まれているのだろう。
もはやいかなる肉体的な欲求も私を悩ますことはなく、
心は平和で一点の不安もない。
また死が思いを占めることもない。
たとえ死の思いがよぎったとしても恐怖などいっさいない。
これらは私が食事に気をつけてきたため
神様が私にその努力の報いとしてさずけてくださったことである。
苦痛や多くの病気にさい悩まされ、
先行きに大きな不安を抱えている大半の老人とはなんというこの違いであろうか。
私には95歳にして二つの世界を楽しんでいる。
今の現世。
そして来世である。
来世、つまり天国を想うことは大きな楽しみである。
私は限りない神の恩寵により、永遠の生命を得ることを確信している。
神様の目から見ても好ましい食を律し、
制する規則正しい生活のゆえに現世に生きる楽しみを満喫し、
その一方で神様は私に天国をも見せてくださっているのである。
来世、天国を想う毎日は実に生き生きしたものなので、
このようななることを確信しているのである。
そして私が召される召され方は、いわゆる肉体の死ではない。
魂が地上から天国へと移るだけのことだけだ。
こうした二つの世界にまたがる想いはきわめて心地がよく、
いわゆる肉体の死という地上の考え方とはまったく異なる世界である。
したがって地上のこの世の生を終えることに少しの不安もない。
むしろ私の心は素晴らしい天国での生活が待っているという
大きな期待に満たされているのだ。
もし、読者諸氏が、私のような生き方をすれば、
私と同じように幸いな人生を享受できるであろう。
なぜなら私は聖人ではなく、一介の凡人にすぎないのであるから。
ろうか。私の現在は、心身共に大きな喜びに満たされているのだ。
100歳まで生きるのを喜びとしない限り、
いくら100歳まで生きても悲しいだけ、空しいだけです。
本当の喜びとはコルナロのように生きれば、
どれだけ感謝で充実した日々を送ることができるでしょうか。