玄米食反対論者、なかでも糖質ダイエット信奉者たちは、
玄米を食べていた江戸時代の平均寿命は短かったといいます。
しかし、江戸時代を調べていくと確かに平気寿命は40歳前後なのですが、
これは医療、公衆衛生の不備、そして乳幼児の死亡率が極めて高く、
しかも冷害などの飢饉で死亡率は低く、現在の半分であったことは当然の結果です。
しかし、玄米菜食を唱えた貝原益軒は84歳まで生き、
解体新書で有名な杉田玄白は84歳、麻酔で有名な花岡青洲は75歳、
測量家の伊能忠敬は55歳から測量を開始して17年間、全国を測量で歩いたのです。
江戸時代の絵巻図や記録には江戸の活気ある生活の記録がたくさん残されています。
当時の人たちの食は、玄米食に梅干し、みそ汁、野菜が普通で、
時には小魚、卵、鶏肉は時々というのが江戸の食です。
また蕎麦も食べられています。
日本には仏教が朝鮮半島から伝えられ、動物の肉を食べることは戒律で禁止され、
以来、江戸時代まで1000年間、米、発酵食を中心とした和食が、日本人を支えてきました。
しかし、江戸幕府を倒した新政府は、
欧米に追い付けと欧米の肉食を奨励し、家畜産業が生まれ、牛鍋が登場します。
そしてこの150年間、豚肉、鶏肉、牛乳、乳製品、鶏卵が主体となって今日まで続いています。
しかし、1000年間、日本人の食は、
玄米、野菜、豆類、海藻、小魚などを中心とした食だったのです。
このような食に戻ろうとする運動が、
石塚左玄によって西洋の学説と東洋の陰陽論とを合体させて食養法を唱えました。
石塚は軍医でしたが、この理論を継承したのが、
桜沢如一で独自の世界観を入れて、体系化されたのがマクロビオテックです。
辞典によれば、
・・・従来の食養に、桜沢如一による陰陽論を交えた食事法ないし思想である。
長寿法を意味する。玄米、全粒粉を主食とし、主に豆類、野菜、海草類、塩から組み立てられた食事である。
身土不二、陰陽調和、一物全体といった独自の哲学を持つ。
運動創始者の桜沢如一は、石塚左玄の玄米を主食とした食事法のための食養会に所属し会長も務めた後、
思想を発展させ、また民間運動として世界に普及させた。
他の呼称に玄米菜食、穀物菜食、自然食、食養、正食、マクロビ、マクロ、マクロバイオティックがある。
マクロビオティックの運動の始まりとしては、1928年に桜沢如一が行った講習会であると桜沢の夫人が述べている。
マクロビオティックは、マクロとビオティックの合成語である。語源は古代ギリシャ語「マクロビオス」であり、
「健康による長寿」「偉大な生命」などといった意味である。
18世紀にドイツのクリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラントが長寿法という意味合いで使いはじめた。
マクロビオティックはフランス語など、ラテン語系の言語での発音を日本語表記したものである。
英語ではマクロバイオティクスに近い発音である。
マクロビオティックを実践している人のことを、マクロビアン、穀菜人(こくさいじん)と呼ぶこともある・・・