桜田はフランスの滞在期間は6年間です。
その後帰国しますが、帰国時に超小型飛行機の専売特許を得、
その権利を日本飛行機会社に販売したことから、ひと財産作ります。
如一は、食養会のためにこの資産を投じて、食養を実践できる病院を建設し、
食養会の発展のため、経営を担います。
しかし、学歴も医師免許もないフランス帰りの如一が、
病院経営をするには多くの反発があり、
4年後、私財を投入して貢献した食養会から追放されてしまいます。
そしてちょうどその頃、日本は戦火に飲みこまれていきます。
第二次世界大戦の始まります。
すべて陰を陽に変換しながら歩んだ如一の気骨ある生き方が、
現在のマクロビを作りあげたのではないでしょうか。
病気で貧乏でなければ、左玄の本に出会う事はなかったでしょう。
無双論がすぐに認めていたら、フランスには行かなかったかもしれません。
食養会に追放されていなければ、独立していたかどうかも分かりません。
如何でしたか?マクロビの意外な創始者の物語。
マクロビは日本に古来からあり明治維新で忘れ去られてしまった食事療法を、
《世界に広めないと広まらない!》という考え方で必死に広めた如一の挑戦から始まった文化です。
【解説】
陰陽五行論と干支暦学×マクロビオティックという寄稿された仙台の誉田和子さんの桜田の生涯を紹介しました。
マクロビの元祖ですから勉強になりました。
ウィキではマクロビについて次のような紹介をしています。
マクロビオティックは菜食主義の一種と解されることもある。
桜沢は左玄の陰陽論をヒントに、食品を「陰性」「中庸」「陽性」に分類することを追求した。
産地の寒暖や形而上の特徴から
牛乳・ミカン類・トマト・ナス・ほうれん草・熱帯産果実・カリウムの多いものなどを「陰性」とした。
玄米・本葛粉(他のデンプンを混合した物は、「中庸」ではない)は
「中庸」、塩や味噌・醤油・肉などナトリウムの多いものは「陽性」とした。
桜沢は当時の科学にも結び付けたと主張している。
これは現在の栄養学的、科学的な分類とは異なる。
また、桜沢は、ルイ・ケルヴランによる生体内で原子転換が起こるという
生物学的元素転換説を支援し『生体による原子転換』や
『自然の中の原子転換』を日本とフランスで同時に発売した。
久司も、生体内で日夜元素が別の元素に変わる原子転換が行なわれていると
主張している(ただし、このような現象は科学的には否定されている)。
2007年の世界がん研究基金の報告では、
以前にマクロビオティックや菜食ががんの発症を少なくさせるという報告もあるが、
現時点では食事法とがんのリスクの関係には確かな結論を下すことはできない
としている。
2010年代には、栄養学との接近が見られている。
東アジア米機能標準化会議では、
マクロビオティックの食事と健康といった表題で
栄養摂取状況の研究報告が行われている。
女子栄養大学の副学長である香川靖雄は、
大学の大学院生がマクロビオティック実践者を含め
ベジタリアンの研究を行っていることを紹介して対談し、
700年から1911年までの僧侶2294名の平均寿命のデータから、
肉を許容している浄土真宗の平均寿命が低く、
「マクロビオティックのような食事は非科学的と思われていたがそうではない」と述べている。