本草綱目(ほんぞうこうもく)は日本の医学に多大な影響を与え、
そこで玄米は明確な薬用食だと断定されています。
そしてまさに玄米は完全食なのです。
日本では白米が大半ですが玄米こそ完全食であり薬用食なのです。
玄米の成分は水分15.5%、タンパク質6.8%、脂質2.7%、炭水化物73.8%です。
玄米には精白米と比べタンパク質や脂質が多く含まれ、食物繊維は約10倍、ビタミンB1は10倍以上含まれています。
こうした栄養素を摂るために、玄米は良い食材といえます。
すべての栄養素は米糠にあり、白米を食べているにはカス(粕と書く)なのです。
漢字はよくのことを言い表しています。
精米技術がなかった時代は日本人はすべて玄米であったのです。
しかし、戦乱の世が去り、江戸時代になると政治が安定したことで、
更に生産量が増しました。
江戸中期、「米将軍」と呼ばれた八代将軍の徳川吉宗が行った享保の改革は
米の生産量拡大に拍車をかけました。
武士階級だけでなく、時には農民も白米を口にできるようになりました。
また、この頃になると江戸を始めとした都市部では、
火災への対策などから一日分のご飯を一度にまとめて炊くようになります。
保存衛生上の理由から庶民であっても傷みやすい玄米、雑穀米を避けて
白米を食べることが一般化していきました。
当時の食生活はとにかく多量のごはんを食べて、おかずは漬物程度だったようです。
白米を食べるようになって、ヌカに含まれるビタミンB1が摂取できなくなったことで、
欠乏症である「脚気」になる人が増え「江戸患い」などと呼ばれました。
地方では玄米に近い分付き米に雑穀などを混ぜて食べるのが主流のままで、
農村部でも白米を食べるのが当たり前になったのは明治になってからのことです。
明治時代には陸軍に脚気患者が続出し、海軍には出なかったことは有名な話です。
陸軍総監の森林太郎(森鴎外)はドイツ医学により、細菌説を主張し、
白米を続行、日清、日露戦争では戦死者よりも脚気で亡くなった軍人の方が多かったのです。
しかし、海軍は高木兼寛がイギリス医学で麦を取り入れ脚気患者を激減させました。
主食を米に代えて蕎麦(Vitamin B1を含む)を食すると、
回復することは分かっていて漢方では療法として用いていたのですが、
ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、
副食を十分に摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、
結核と並んで二大国民病とまで言われたのです。
戦後国民の栄養状態の改善に伴い激減しましたが、
1975年ごろからジャンクフードの普及によって再発しています。
とくにアルコール依存症患者にも多く、アルコール分解の際にビタミンB1が消費される事と、
偏食が関与してまたもや脚気患者は増加しています。
最近は高齢化が進み、ビタミンB1を含まない高カロリー輸液での発症も問題となっています。