定期的なファスティングを神は私たちに求めておられます。
そのことを聞き取らないと霊性は完璧に堕落します。
「修道院の断食」という本がありますが、このように書かれていました。
スイスの作家、ヴァルター・ニクは、
「カトリック教会は修道院のなかに枯れることのない井戸水(というべき宝)を持っている。
この井戸水からキリスト教という土地を潤すすべての水がこんこんと流れ出している。
歴史上、教会が衰退しつつある時にそれを救ったのは、つねに修道院だった。
この枯れることのない井戸こそ、断食の秘儀だった」。
修道院では定期的な断食をし、
毎日の修道院生活そのものがファスティングそのものの生き方です。
聖書の断食は神とつながる太いパイプのようなもので、修道院だけではなく、
私たちも断食をもって主に近づくことをしないと枯渇してしまい、
生きた神を体験できることはありません。
今、私が通っている日本キリスト教団今津教会の前牧師が断食は
神が求めてはおられないし、
今のキリスト教会ではすべきことではないと断定されました。
また、この教会で断食して祈る人は一人もいません。
このような状態で今津教会の霊的な復興と
伝道への熱い思いなど沸いてくることは不可能です。
断食祈祷は教会に霊的な熱風を吹き込む最大の方法です。
しかし、それができないのは何故なのかです。
それは断食への恐怖心からなのです。
そして自分たちとはおよそ関係のないものとして冷ややかに観察しているのですから、
断食の大きな恵みを聖書を通して、
今、一度、捉えなおしていたかなければなりません。
今年もローズンゲン(日々の聖句)2019年版で新年が始まりました。
このローズンゲンは、モラビア派の霊的復興から300年前に生まれたもので、
世界中でローズンゲンは読まれています。
私も20年前からずっと愛読しています。
私はこのローズンゲンで助けられました。
そのモラビア派の霊的復興は、
1722年ツィンツェンドルフ伯爵の領地にモラヴィアから逃れてきた
フス派、兄弟団の群れが、ヘルンフート(主の守り)と呼ばれる共同体を形成し、
ヨーロッパ各地で迫害されていた敬虔派やアナバプテストも逃れてきたために
互いに権利を主張しあって多くの問題が絶えなかのですが
1727年8月13日の聖餐式に聖霊降臨が起こり、霊的復興が起こります。
そして聖霊の力を経験して、その結果として財産共同体が発足し、
世界に聖書のみことばを届けるローズンゲンが誕生します。
この霊的復興の中核は聖餐式と同時にそれを迎えるために
断食祈祷して備えていたことです。
霊的復興は断食祈祷がベースでなければ起こりません。
それはエルサレムで起こってから2000年の教会では常識中の常識なのです。