断食して祈るというのは、どういうことでしょうか。
そのことをパウロは次のように語りました。
ローマ人への手紙
12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。
これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
ここでパウロは自分の体といいますが、
これは聖なる体となって「いけにえ」と捧げよと勧告しました。
まず聖なるとは、
神の前に汚れがないように体を聖別することです。
つまり断食をしてデトックスすることにほかなりません。
そうでないと「聖なる生きた」ありますように
自分のこの生身の体をまず、
清めないと神の前に出てはいけないということなのです。
これは神の側からの人間への要請なのです。
つまり断食して私の前に出よということです。
これこそ真の礼拝だとパウロはいいます。
多くの注解書ではそのような解釈ではありません。
まずは献身の内容が圧倒的ですが、そうではないようです。
パウロが使徒として選任され、第1回目の海外宣教の時に断食をして選出し、
ともに断食して聖別して、重大な任務に赴きました。
使徒言行録
13:2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。
「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。
わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」
13:3 そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
断食していると聖霊なる神からのお告げでパウロとバルナバが選び出されました。
そして、アンテオケ教会全員が断食して聖別したのです。
そしてキプロスへと送り出されていきました。
ここからローマ帝国への本格的な宣教が開始されたのです。
ここで断食による聖別があったことが明確に書かれています。
海外宣教の本格的な基盤はローマ帝国の本拠地であるローマでした。
そのローマに書き送った手紙ですから
明確に聖別することは断食することであり、
断食は礼拝の基本だったのです。
断食はすなわち礼拝の本質だということを私たちは知らなければなりません。