6月3日、69歳の私の誕生日に
毎日新聞大阪本社エリヤ報道センター記者の久保聡さんが取材に来られました。
高島市公式サイトの移民課の作成した移住者紹介の中から、私を選んで来られたのです。
そして約2時間近い取材でしたが、話の大半は断食のことでした。
「湖国で暮らす・移住した人々2」として大きく報道されました。
久保さんのインタビューを受けながら、
受け答えしている中であらためて
この琵琶湖湖畔の高島市安曇川町南船木になぜ神は導かれたのかを想起していました。
たまたま近くの教会の聖書研究会で
アブラハムがハランから出ていく創世記11章を今日、学んだのですが、
すべてを捨てて何故、75歳で神の示す地に出発したのと同じです。
私はアブラハムより10年早い65歳で全く見知らぬ地に移住したのですが、
なぜこの地だったかのだろうか、毎日、湖畔を散歩祈祷しつつ想起していました。
そしてまだ細き声ですが
「ファスティング・ブライド」の断食祈祷院を建設するためではないのか」
ということが見えてきたのです。
まさにアブラハムのように神の呼び出しであったのです。
思えば最初に韓国で断食祈祷したとき、
直感的にすべてを投げ捨てても日本のために断食祈祷院を建設しなければならない。
そうでなければ日本は100年、
いや1000年経てもクリスチャン人口は1%を超えるどころか衰退し、
消滅するということを示されていたのです。
ですから信仰の恩師である小谷純一師の唱えた「愛農救国救人類」ではなく、
「断食救国救人類」を掲げようと韓国から帰り、
すぐに妻・洋子にそれを伝えたところ、
妻は「私が保険代理店を引き受けるので、
あなたがいのちがけの断食祈祷の中で示されたのならやったらいいよ」
と言ってくれたのです。
しかし、その日から2ヶ月後の1993年4月1日に心筋梗塞で
天に42歳で召されました。
私はその後、召された妻の弔い合戦だと23年間、断食祈祷院を運営してきましたが、
再婚したパートナーが境界性人格障害者であり、最悪の23年間でした。
しかし、このようなセイルを38年も遠回りしたイスラエルの民も
ようにようやくカナンに入ったのです。
それがまさに湖国であります高島市安曇川町南船木だったのです。
そして第3のパートナーとともに「古民家ファスティング藤樹の宿」を経営していますが、
それはあくまで通過点であり、目標は「ファスティング・ブライド」という
「断食祈祷院」の建設なのです。
もちろんそれと同時に「古民家ファスティング」のFC展開も進行していくでしょう。