ユダヤ人は断食民族といわれます。
なぜならユダヤ教は断食宗教だからです。
祭日、安息日には断食ですし、祭りはすべて断食なのです。
全世界のあらゆる民族で祭りに断食する民族はユダヤ人だけです。
まず聖書に出てくるので知られている事件を背景にした断食日=祭りとは
1・ヨム・キプル
贖罪の日断食で24時間断食です。
ユダヤ教徒はこの日は飲食、入浴、化粧などの一切の労働を禁じられ、
この間、唾液も飲み込むことなく吐き出している厳密なユダヤ教徒もいます。
そしてシナゴーグで断食祈祷し、何も食べません。
ヨム・キプール事件として有名なのは
1965年にメジャーリーグのワールド・シリーズ第1戦がヨム・キプルに重なり、
ロサンゼルス・ドジャースのユダヤ系投手サンディ・コーファックスが先発を拒否したことです。
2・ティシュア・ベー=アーブ
タルムードに起源を持つユダヤ教の祝祭日の一つで、
ユダヤ教とユダヤ人の歴史の中で、最も悲しい日と位置づけられ、
悲しみを記念する日。
ユダヤ教徒は、ヨム・キプルに加え、この日も断食を行わなければならないのです。
ミシュナーは5つの事件を覚えて断食せよと書いています。
- この日、モーセの命を受けて「約束の地」カナンを偵察した12人の斥候たちは、帰還していかにカナンがひどいところかという報告をおこなったため、人々は嘆き悲しんだ。
- 神はこれを見て怒り、モーセの引き連れた世代は約束の地に入れなくなった。(民数記13章〜14章)ユダヤ人たちはこの日に先祖の犯した過ちを嘆く習慣を持ち続けている。
- 紀元前586年、エルサレム神殿とユダ王国がネブカドネザル2世の新バビロニア王国によって破壊され、人々はバビロンへと連行される。(バビロン捕囚)
- 70年、エルサレム神殿(第二神殿)がローマ帝国によって再び破壊される。(エルサレム攻囲戦 (70年))
- エルサレムにおけるユダヤ人の対ローマ帝国反乱とそれによって行われたエルサレム包囲(70年)などの後、133年にローマ軍が神殿跡とその周囲を更地にしてしまったこと。
- バル・コクバの乱により、135年にベータール(英語版)が陥落、アキバ・ベン・ヨセフなど多くのタンナーイームが戦死。