強烈な自己主張がユダヤ人の特色ですが、日本はその真逆です。
その場を支配する空気、集団的合意と総和で決められていく社会だからです。
それは自分=自己という個が確立されていないからです。
世間、会社、地域社会の一員であり、自分はないからです。
西洋では絶対に聞かない言葉に「自分にごほうび」という言葉は
自分にもう一人の自分がいるという二分割です。
それは強烈な自分が存在しないことを意味します。
脆弱で未熟な者は簡単に二分割されていまい、同和されていくのです。
しかし、ユダヤ人は強烈な自己=自分を持っていますので、
上司に向かって「なぜあなたが私の上司で私があなたの上司ではないのか」
ということから議論となればまず自分の考えを述べます。
受け入れられなくとも妥協はしません。
日本人のようにこの辺で話をまるく収めましょうというようなことはあり得ません。
自分の主張を貫くためにあらゆる手段を取ります。
オリンピックは異教の祭典だがユダヤ人は協力すべきかどうかとか牛乳は
身体によいのかなど健康の議論は延々と続きます。
相手と激しい議論をしても寛恕的なわだかまりは一切あり得ません。
初対面でもなぜの連発で、食事の時間に議論をすれば食事が上手くなるですが、
日本はまずくなるですから真逆です。
何度も神に抵抗しているシーンが記載されています。
タルムードも議論をするように書かれていますから結論はありません。
日本人はユダヤ人のような議論はしません。
ただし集団になると豹変しますが、ユダヤ人にはあり得ません。
そしてユダヤ人は人と同じことをするのを極端に嫌います。
神がこの世に自分を造られたのだから、
他の人間と同じことはあり得ないからです。
またユダヤ人は競争ができない、いや真似ができない領域で特化して勝負します。
コンピューターのCPU市場を独占したインテルは創業者がユダヤ人だからなのです。
また物事を根本的に変えて全員をそこに引き込むのも特質で、
金融資産のビジネスでも迫害されてもユダヤ人なくしては
やれない社会を形成していきました。
強烈な自己を武器にして新しい価値観を生み出すのがユダヤ人です。
そうすればたとえ一人であろうとも世界中の人間を自分中心に動かせます。
このように強烈な自己主張は、精神的にも安定を与えます。
周囲の人、他人の目を一切、気にしません。
ただし宗教の戒律には縛られてはいますがまったくストレスはありません。
日本人は他人の顔色を気にして生活しています。
ゆえにストレスがかかり、うつ病が生まれ、自殺が多くなります。