私が断食祈祷を始めてしたのは、韓国・オサンリ祈祷院で1993年2月のことでした。
この時の衝撃は今もなお忘れられません。
高校時代から断食という言葉も、
断食祈祷という言葉も一度も聞いたことがなかったのですが、
韓国の教会が急成長した理由が、それまで私にとっては謎でしたが、
ようやく分かったからです。
それは一にも二にも断食祈祷だということだったからです。
この瞬間に私は日本で断食祈祷院を開設することを決めました。
その決断が今の私をこうした断食と26年間も関わることとなったのです。
それまで保険の代理店業を約20年営んで来ましたが、
断食祈祷を日本に普及するのは容易なことでないことは分かっていました。
しかし、私は22歳の時でしたが、
ある経済評論家が週刊ダイヤモンド誌で語っていたことですが、
これからは日本人が嫌う保険業と宗教が有望だということでした。
結果的にその日本人が嫌っていた保険業界で20年間、
関わっていくことになったのです。
1995年に断食祈祷院の土地を不思議な方法で与えられて、豊田市でオープンし、
日本のキリスト教会の人々と関わってきました。
このオープンで日本のキリスト教会が
なぜ韓国のように成長していかないか1、2年で分かりました。
それを一言で語れば、日本教キリスト派に完璧に支配されているということでした。
それで高校時代からファンだった山本七平さんの
日本教に関する一連の著作がようやく理解できました。
保険時代20年間では山本さんの日本的資本主義のことで
大きな示唆を受けていたのですが、キリスト教会と関わるようになり、
日本教の研究で語られている通りのことが
現実に目の前に体験していくことになりました。
その数多い体験の中で断食祈祷に
どのように少なくとも私の周囲がどのように反応したかです。
まず、第一にこれまで関わってきた無教会というのか
愛農聖書研究会から問答無用の追放を受けたことです。
このグループにとっては断食祈祷などとんでもないことだったからです。
しかし、断食祈祷院を開いてみると今度は
熱心に断食祈祷に来ている様々な教団教派の方たちが、
実に教会の牧師、信徒、教団の噂話、非難、批判の応酬の渦でした。
この噂話にうんざりしてしまったのです。
何のために断食祈祷に来ておられるか分かりません。
つまりイザヤ書58章で語られる断食の基本姿勢がまったく欠如していたのです。
日本のキリスト教会の断食祈祷とは下記のような実態だったのです。
58:3 何故あなたはわたしたちの断食を顧みず/苦行しても認めてくださらなかったのか。
見よ、断食の日にお前たちはしたい事をし/お前たちのために労する人々を追い使う。
58:4 見よ/お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし/
神に逆らって、こぶしを振るう。
お前たちが今しているような断食によっては/
お前たちの声が天で聞かれることはない。
58:5 そのようなものがわたしの選ぶ断食/苦行の日であろうか。
葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと/
それを、お前は断食と呼び/主に喜ばれる日と呼ぶのか。