日本の武士道はまさに昨日、書きましたように、
「ノーブレス・オブリージュ」(no-blesse o-blige)です。
この深い聖書的思考、キリスト信仰を表した言葉ですが、
真の武士道、サムライ精神とは、
「高い身分に伴う義務」(ノーブレス・オブリージュ)」そのものなのです。
そのノーブレス・オブリージュを貫徹する精神を持つのが武士道であり、
サムライ・ファスティングスピリットの中核なのです。
私たちは地位、職業などで高い身分、裕福は関係ない
とこのノーブレス・オブリージュを解釈してはなりません。
私たちには誰でもたとえ高い身分ではないけれども、神から絶大な多くの恩恵をいただいています。
ゆえにその恩恵に対して、ノーブレス・オブリージュ、その恵みに伴う義務というものがあるのです。
私利私欲を捨てて、公のため、人のため、神のために生きる
という生き方を始めなければならないのです。
それが本当に自分にかえってくることなのです。
そして本当の自分を発見することなのです。
その道を見つけることなのです。
たとえ金銭なくとも、地位もなくとも得られる高貴な仕事である
ノーブレス・オブリージュに生きる武士道を日本は回復しなければならないのです。
そして心の内にわき上がる、押し出されるような思いによって、公のために生きること。
自分に死んでしまうとき、本当の自分が生きるようになるのです。
このようにノーブレス・オブリージュに生きる自分の姿を書いています。
ガラテヤ人への手紙
2:20 生きているのは、もはやわたしではありません。
キリストがわたしの内に生きておられるのです。
わたしが今、肉において生きているのは、
わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
使徒パウロは自分の私利私欲に死んでしまったら、本当の自分が生きるようになるといいます。
そして自分の中に住むイエス・キリストによって自分がそこに存在し、自分を発見しました。
そうして自分の生涯は喜びと平安と感謝に満たされるようになったのだと言っているのです。
ローマ帝国に伝道を続けることができたか。
それは彼の中にキリスト教的武士道があったからではないでしょうか。
この武士道精神こそ力強いキリスト信仰だったのです。
ついにこのパウロの働きで300年後にローマ帝国はキリスト教を受け入れ、
ローマ帝国領土、すなわちヨーロッパ全域がキリスト教が占めていきます。
そして以後、全世界にキリストの福音が伝えられ
今日、クリスチャン人口が全世界の33%を占めるに至ったのです。