私は本当の武士道精神は、イエス・キリストの生涯にあったことを
「武士道が生まれた背景」で何度も書いてきました。
真の日本精神を発見したからこそ、
イエス・キリストの生き様の素晴らしさが分かったのです。
まさに武士道とは、死をいたずらに恐れるのでなく、
人生の一部ととらえて、短いながらも美しく生きる。
武士はそれを理想としていました。
イエス・キリストの生涯はこのような日本精神を私たちに伝え、
内村は無教会精神を伝え、新渡戸稲造は世界にこの武士道を伝えてくれたのです。
短いながらも美しく生きる生き方とは、いったい何んなのでしょうか。
それは人としての情けを持つことです。
自分もはかない命だからこそ、はかないものに対して情けを持つ。
中国のことわざに
「窮鳥(きゅうちょう)、懐(ふところ)に入る時は、
猟夫(りょうふ)もこれを殺さず」とあります。
つまり窮した鳥、追いつめられた小鳥が自分の懐に助けを求めて飛び込んで来たときには、
さすがの狩人もこれを殺そうとはしない、という意味なのです。
はかない命をみれば、同情を寄せて助ける。
武士道にも「武士の情け」という言葉があって、
武士は、はかないものをみれば情けをかけることを常としていました。
かつて戦国時代に武田信玄とその領地内の人々が、
塩がなくて苦しんだことがありました。
そこに塩を送って武田信玄とその領地の人々を助けました。
敵に塩を送ったという誰でも知っている有名な逸話です。
まさに武士の情けでした。
たとえ敵対関係にある相手であっても、相手が苦しい立場にあるときには、
助けを送るという精神が日本の武士道精神なのです。
このようにローマの教会に宛てた手紙に書いています。
ローマ人への手紙
12:19 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。
「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
12:20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。
そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」
12:21 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
これは武士道の教えそのものではないでしょうか。
キリスト教的な武士道であり、武士道を行く言葉です。
ほんとうの情けを知った者の言葉なのです。
死というものを徹底的に追及した者こそ、ほんとうの情けを知ることができます。