最近、右翼的な考えで武士道を持ち出す輩も新渡戸稲造の名著「武士道」をもう一度、
真剣に読んで、新渡戸の武士道精神を正しく受け取ってもらいたいと思います。
新渡戸が「武士道」を公刊して20年後の1920年、
時代は19世紀から20世紀になる大きな歴史の転換期に
国際連盟事務局次長に就任しました。
世界は日本を見る目も大きく変わっていきましたが、日本の古来の伝統や文化が消え去っていき、
欧米に追い付けとばかり息せき切って近代化を急いでいる時期でした。
そのような時代を憂いていた新渡戸稲造は、
クェーカー教徒として熱心なクリスチャンでしたが、
仏教、儒教、神道が深く関わる「武士道」を書いたのは1900年です。
「武士道」16章でこのように新渡戸は書いています。
・・・わが国における驚くべき西洋文明の進入は、わが古来の教訓のあらゆる痕跡を、
すでに脱ぐい去ってしまったのであろうか。
一国民の魂が、もしそのように早く死滅するものならば、はなはだ悲しい今年ある。
そのように外来の感化によって屈服するようでは、それは貧弱な魂にほかならない。
・・武士道が、わが国民、とくに武士に刻み付けた性格は、
「その種族にとって欠かせない要素」を形成しているとは言えないが、
その活力をもっていることには疑いない。
過去700年の間に蓄積されたエネルギーは、急に停止させようと思ってもできるものではない。
・・新生日本の最も輝かしい先駆者の一人である吉田松陰が、
刑に処せられる前夜に詠んだ歌は、日本民族偽の偽らざる告白であった。
かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂
武士道は、形式こそ備えてはいなかったが、我が国の活動精神であったし、
また推進力であった。そして現在でもそうである。
【解説】
李登輝は表面的な近代化で変貌し、
日本に脈々と流れる武士道を捨て去っている明治日本に警告を発するために
「武士道」を再構築されています。
それは100年後の21世紀になってもう20年を経る、
今日の日本に対して
それ以上に日本を忘れ去ってしまい、アメリカの奴隷と化してしまった日本への警鐘なのです。