・・・礼儀を行うのに、真実と誠実の心が欠けていたならば、それは茶番になり、お芝居になってしまう。
伊達政宗は「礼儀も過ぎれば、へつらいとなる」と言っている。
「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん」という菅原道真は、
ボロニウスを超えるものがあった。
孔子は「中庸」で、誠実を神聖視して、
これに超越的な力があるとし、その力をほとんど神と同一視して、
「この世のあらゆるものは、誠に始まり、誠に終わる。誠はあらゆるものの根源であり、
誠がないとすればそこには何ものもあり得ない」と述べている。
さらに誠実がもつ遠大で不休の性質と、動かずして相手を変化させ、
存在するだけでおのずから目的を遂げる力についてとうとうと述べている。
誠という感じは、「言」と「成」との結合によってできており、
これは新プラトン学派の説く「ロゴス」との類似を思わせるものがある。
孔子はこのような非凡な精神的な飛躍をもってこれほどまでの高みに到達しているのである。
嘘の言葉と逃げ言葉は、ともに卑怯なものとされてきた。
武士は社会的な地位が高いのだから、農民や商人よりも誠実であることが要求された。
「武士の一言」というのは、サムライの言葉という意味で、
その言葉は、証文がなくとも約束が果たされるといういう重みを持ち、証文を書くことは、
武士の威厳にかかわるものとされた。
「二言」すなわち二枚舌を使ったことを、死をもってその罪を償った多くの壮烈な逸話が語られた。・・・
「武士は食わねど高楊枝」という言葉があります。
日本の武士は、たとえ餓死に瀕していても、
名誉や誇りを捨ててまで金に執着するものではありませんでした。
この「やせ我慢」の精神こそが、
長い間、日本の支配階級の腐敗や堕落を防ぐ大きな支えとなっていたのです。
日本における「武士道」の衰退を何よりも雄弁に物語っています。
日本の長い武家支配の中でもひときわ光り輝いている
希代の革命家、織田信長の治世を見ても、一方で極端な改革を断行しながらも、
他方において「楽市、楽座」などによる自由な商業取引を可能にする大胆な規制間を行ったり、
外国との貿易を盛んにしたり、堺の商人たちの闊達な経済活動を支援し
、保障し、画期的な政策を展開しました。
【解説】
この章では武士の言葉の責任の重さを新渡戸は語っています。
李登輝も台湾の責任者として言葉に責任を負いました。
日本武士道は「武士の一言」に尽きます。
言葉を重視した武士たちは明治以降にキリスト教が接ぎ木されて開花したのです。