・・・恥は(武家の)少年の教育において第一の徳目であり、
「笑われるぞ」、「体面を汚すぞ」、「恥ずかしくないか」などの言葉は少年に対して、
正しい行動を促すときの最後の戒めであった。
このように少年の名誉心に訴えることは
あたかも母親の胎内にいたときから名誉で養われていたかのように
彼のハートの最も敏感なところに触れたのである。
名誉の感覚は胎児のときからの感化であり、家庭的な自覚と強く結びついていたといえよう。
・・(武家)少年の目標は、富でなければ知識でもなく、名誉であった。
少年は志を立てて家を出るときは、世にもし名を成さなかったらば、死んでもも帰らぬと誓い、
功名心のある彼らの母はたちは、我が子がもし「錦を着て故郷に帰る」のでなければ、
再び会うことを拒んだ。少年たちは、恥をまぬがれ、名を立てるために、
どんな不自由な暮らしもいとわず、肉体的あるいは精神的な苦痛にも耐えた。
少年の時に得た名誉は、年齢とともに成長していくことを、彼らは知っていたのである。・・・
世界に誇るべき日本国憲法はその冒頭で「国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思うと宣言しています。
にもかかわらず、最近の日本はあまりにも「不名誉」な地位に立たされすぎています。
かつて、ベディクトは「恥の文化」という本の中で
「日本人は恥の文化に生きていたから罪の文化にとらわれてきた西欧人と全く異なった
世界でも特異なアイデンティティ―を確保するに至った」
といいます。
しかし、今の日本にこのような恥の文化がどこに残っていますか。
カーライルも
「恥はすべての徳、善き風儀ならびに善き道徳の土壌である」と言い切っています。
「日本人の国民性を高く称賛されたのに、
自らの足で「武士道」を踏みにじり、恥の文化を捨て去った、
これが私が最も愛した日本という素晴らしい国の戦後の実態なのです。
これはかえすがえすも無念至極なことと言わざるを得ません。
【解説】
李登輝が解説しているように日本から武士道を捨て去ったことは日本の一大損失です。
日本に武士道精神を復興しないと中国にしっぽをふり、しまいに従属化していくことでしょう。
戦後、アメリカにしっぽを振って盲従したのと同じようにです。
サムライ精神をファスティングに生かしていかないと何をよりどころにしているのでしょうか。
ヨガのような借り物、韓国のキリスト教会の断食祈祷の借り物では何も生み出せません。