武士の教育において、最も重んじられたのは、品性を確立することであって、
思慮、知識、弁説などの知的な才能は第二義的なものであった。
美的な芸能の楽しみもまた武士の教育上、重要な役割を占めていた。
それは教養ある人にとっては欠くべからざるものであったが、
武士の教育にとっては本質的なものというより、むしろ付属的なものに過ぎなかった。
学問に秀でることはもちろん尊ばれたが、知という言葉は、
主として知恵を意味するものであって、
知識はやはり第二義的なものとして考えられていた。
智、仁、勇気は武士道を支える三つの柱であった。
要するに武士は行動の人で、学問はその行動の範囲外にあって、
武士の職分に関するかぎりにおいてこれを利用した。
宗教と神学は僧侶にまかされ、
武士はただ自分の勇気を養うのに役立つ場合においてのみ、宗教や進学を学んだ。
あるイギリスの詩人が歌ったように、
武士は「人を救うのは宗教上の信条ではないが、
信条を正当化するのは人である」ということを信じていた。
哲学と文学の二つが、武士の知的な教育の主要な部分を占めていたが、
その目標とするところは、客観的な審理ではなかった。
要するに、文学は暇つぶしの娯楽としてこれを修め、
哲学は軍事的なあるいは政治的な問題を解明するためか、
そうでなければ自分の品性をつくる上の、実際的な助けとして学ばれた。
以上、述べたように、武士教育の家庭が、
剣術、弓術、柔術、馬術、槍術、兵法、書道、道徳、文学、歴史などから
成り立っているのを見ても、別に驚くに足りない。・・・
【解説】
李登輝は武士は聖職者といいます。
しかも比経済人の営みだともいいますが、
武士は「ヴオーケーション」の聖職者であるというわけです。
医は算術でなく、仁述だといいますが、新渡戸は
「僧侶など宗教に携わる者の仕事は、
教師も、霊的な勤労、スピリチュアル・サービスであり、
金銀をもって支払うべきものではない」という考え方だといいます。
「武士は食わねど高楊枝」です。
それが克己(セルフコントロール)になります。
この上なく高貴な身分(ノーブレス)として
一般大衆から高い尊敬と深い信頼をかちえていたのです。
思えば私が24年間、所属した無教会は、
まさに武士道の集団といいますか、少なくとも武士のような伝道者ばかりでした。
その後、断食祈祷院や多くの聖会、集会に参加するとその差は歴然としています。
無教会以外は武士ではなく、商人か町人でした。
今は、全く日本に武士道が喪失してしまい、
愚かな政策、1988年経済バブルを生み出し、暴走し、
今もなお平成30年間、日本はバブルの後遺症の呪縛の中から脱出できないのです。