・・・武士が感情を顔にあらわすのは男らしくないと考えられ、
「喜怒を色に現わさず」とは、強い性格を評価する言葉であって、
最も自然な愛情をも抑制されてきた。たとえば父がその子を抱くのは、
父の威厳を害うことであり、夫は私室においてはともかく、
人前では妻にキスをしなかった。
ある青年が「アメリカ人は人まで妻にキスをし、私室では妻をなぐる。
日本人はこれと反対に、人前で妻をなぐり、私室では妻にキスをする」と、
たわむれに言った言葉の中にも、いくらか真理はあるであろう。
・・日本のキリスト教会において、
信仰が熱狂的なかたちで現れることが少ないのは、日本人の自制の鍛錬である。
男子でも女子でも己の霊魂に感激を覚えるようなことがあれば、
まず自分の本能を静かに抑え、外へ現わさないように努める。
たまたま誠実と情熱につき動かされることがあっても、心を抑えきれずに、
思いつくままに話すことは稀である。
軽々しく霊的な体験を口にすることは
十戒の第三戒めを破ることにつながる(神の名をみだりに唱えてはならない)。
日本人の耳には、烏合の衆に向かって、最も神聖な言葉や、
最も秘めやかな心の体験が語られるのを聞くのはまことに耳ざわりなのである。
ある青年武士は、日記に次のようなことを書いている。
「おまえはおまえの霊魂の土壌の中から、
秘めやかな思想がかすかに動き出してくるのを感じないか。
それは種子が芽生えてくるときである。
よけいな言葉をもってそれを妨げるな。
静かにそしてひそかに動くままにさせよ」と。・・試みに日本人の友人が、
最も深い悲しみと苦痛にあっているときに訪問したらよい。
その友人は、赤い目をし、濡れた頬に笑みを浮かべて、君を迎えるであろう。
君はそんな友人を見て、ヒステリーをおこしたのかと思うかもしれない。
・・日本人は人間性の弱さが激しい試練に会った時、
常に笑いに頼る向きがある。・・・
【解説】
李登輝は「ジャパニーズスマイル」は、
新渡戸のいう笑いの指摘のように「モナ・リザの微笑」に通じるともいいます。
そして私が驚くのは新渡戸のユーモアーといいますか、
日本人の信仰が霊的なことに関して大声を出して祈ったり、
歌ったりしないのは武士道からだというのは納得します。
なぜなら大半の教会で歌われるのは100年前の讃美歌を重々しく歌うことです。
そこに喜怒哀楽など出さない不思議な空間があるからです。
私はこの空間の意味が分かりませんでしたが、
まさに新渡戸はみごとに見抜いていたのです。
日本の重い思いこの礼拝の原因は、武士道精神の克己だったようです。