ヨーロッパの騎士道と日本の武士道の歴史を比較してみたとき、
これほどよく似ているのはまれである。もし歴史が繰り返すものだとすれば、
武士道の運命は、必ず、騎士道がたどってきた運命を繰り返すであろう。
ヨーロッパと日本の歴史的な経験において、最もの差異は、ヨーロッパにおいては、
騎士道は封建制度のふところから離れ、キリスト教によって養い育てられ、
新しい生命を得たことである。
これに反して日本の武士道には、これを養育する大宗教がなかったことである。
したがって産みの親である封建制度が崩れ去ると武士道が孤児として取り残され、
やむを得ず自立して生きていかねばならなかったのである。
・・武士道は一個の独立した道徳の掟としては、消え去ってしまうかもしれない。
しかし、その力は、この地上より滅びはしないであろう。その武勇と文徳の教訓は、
体系としては崩れ去るかもしれない。
しかし、その光明と栄光は、その廃墟を乗り越えて永遠に生きてゆくであろう。
その象徴である桜の花のように、四方の風に吹かれて散り果てても、その香気は、
人生を豊かにして、人類を祝福するであろう。
100年の後、武士道の習慣が葬り去られ、その名さえ忘れられてしまう日がきても、
その香気は、「路辺に立ちて眺めやれば」目に見えない遠い彼方の丘から、
風とともに漂ってくるであろう。
それはまさにあるクエーカーの詩人が歌った美しい言葉のように。
いずこよりかはしらねど 近き香りに
旅人はしばしやすらい 徒をとめて
ゆたかなる その香をなつかしみ
高き御空の 祈りをぞ聞く
【解説】
李登輝は、台湾の国民が今もなお尊敬の念を抱いているのは、この武士道だというのです。
日本精神が義と誠をもっている大和魂があるからと信じているからだといいます。
李登輝のような台湾指導者が大和魂を正しく理解しているのに比べ、
今日の日本では、新渡戸が語った武士道精神が喪失しているのはなぜか。
それはいみじくも新渡戸が指摘したように
ヨーロッパはキリスト教がそれを継承したからなのです。
日本は明治以降、キリスト教がそれを継承できたのですが、
日本にキリスト教を伝えた宣教師たちが武士道を葬ったからです。
それを接ぎ木させようとしたのは新渡戸や内村鑑三だったのです。
内村鑑三は69歳で召される最後の聖書講義は「パウロの武士道」だったのです。