先に内村鑑三はアメリカの思想家エマソンの著作に影響を受けたことを書きましたが、
エマソンは十字架を否定するユニテリアン思想家でありましたが、
内村はそれでもエマソン流を導入しました。
「代表的日本人」のドイツ語版の後述にこのように内村は欠いています。
・・・本書(「代表的日本人」)は現在の私の信仰、思想を述べたものではありません。
キリスト者としての今の私が、接ぎ木されたもとの台木を示したものです。
私はキリスト教と何かを宣教師から学んだのではありません。
私の先祖と私とに宗教の神髄を教えてくれています。
何人もの藤樹が私どもの教師であり、何人もの鷹山が私どもの領主であり、
何人もの尊徳が私どもの農業の指導者であり、
何人もの西郷が私どもの政治家でありました。
その人々により、召されてナザレの神の人(イエス)にひれ伏す前の
私が形作られていたのであります。
一人の人間が、ましてや一国民が、
一日にして回心させられるものだと考えてはなりません。
真の意味での回心は何世紀も要する大事業なのです・・・
エマソンは「代表的人間像」で取り上げたのは、
1・プラトン
2・スエーデンボルグ
3・シェイクスピア
4・ナポレオン
5・ゲーテ
6・モンテニュー
ですが、内村が選んだ、5人もそれに対応して選ばれていますが、
やはり内村の中に流れる武士道精神が息づいています。
そして内村は欧米の宣教師の教団教派が、
日本人の中に流れるものを切り捨てたことに対する
強烈な否は、この「代表的日本人」の中に生きています。
そして「代表的日本人」に取り上げられた5人は人間を超えた存在である
「天」に出会ったといいます。
私は内村のその指摘こそ、
日本人が到達すべきサムライ・ファスティングそのものの精神だと思うのです。
最近はヨガとファスティングを結び付けた船瀬俊介の著作には反対します。
なぜならヨガは天には通じません。
自らが神になろうとする思想だからです。
「代表的日本人」の5人は自分を遥かに超えた天を指示したのですから、
武士道の精神は新渡戸が語ったように
やはり天の教えを説くキリスト教をおいてしか継承できないのです。
それは日本古来の神道、またインドから来た仏教でもありません。