ラストサムライといわれる西郷の生まれる江戸末期を
内村鑑三は見事に描いていきます。
・・・わが国の長い鎖国は終わりに近づいていたが、それを完全に終わらせるには、
しかるべき人物と機会が必要であった。
この頃、太平洋の両岸に位置する中国とカリフォルニアの門戸が解放され、
世界の両端を結び付けるためにも日本の開国が必要になった。
これが外的な機会である。
一方、国内では最後にして最強の封建領主(徳川幕府)が弱体化し、
藩ごとに分断され、反目し遭うことに倦み疲れていた日本人は、
史上、初めて国家統一の重要性を感じ、望むようになっていた。
だが機会を生み出すのも利用するのも人間である。
思うに米国のマシュー・カルブレイス・ペリー提督
(米国の海軍軍人。日本開国の先駆者。米国の最初の蒸気軍艦フルトン2世号の艦長などを経て1852年東インド艦隊司令長官に就任。1853年軍艦4隻を率いて浦賀沖に来航,フィルモア大統領の国書を提出して幕府に開国を迫った。一時退去したが1854年再び江戸湾にきて条約締結を要求,神奈川条約・日米和親条約の締結に成功。帰国後,政府の委嘱で《ペルリ提督日本遠征記》を編集。ペリーは当時のマニフェスト・デスティニー(アメリカ膨張主義思想)の体現者で,日本に欧米的キリスト教文明を及ぼすことが米国の歴史的使命だと確信,来日前には周到に日本についての調査研究を行っていた。)
世界史から見ても、最高に人道を重んじる人物だった。
提督の日記(『ペリー提督 日本遠征記』 宮崎壽子監訳、角川ソフィア文庫・上下)
を読むと、彼が日本の国土に大砲ではなく、
神を讃える歌で衝撃を与えようとしたことが分かる。
ペリーに課せられた任務は、隠者の国(日本)の尊厳を傷つけず、
しかし生まれながらの誇りは押しとどめ、
日本を目覚めさせねばならないという微妙なものだった。
これは世界を支配する神に何度も何度も祈りを捧げ、
神の慈悲深い助けがあってこそできる、真の宣教師の仕事だった。
日本にキリスト教徒の提督が開国を求めに訪れことは、天恵であった。
そして外から扉を叩いたキリスト教徒の提督に内から応えたのが
「敬天愛人」を奉ずる、勇敢で正直な将軍であった(西郷のこと)。
この二人は生涯、顔を合わせることはなく、
互いに相手を褒め称えたという記録もない。
しかし二人の生涯をたどると、外見こそ違え、二人の心は一つであったことが分かる。
二人は知らないうちに協力していた。
一人が始めた仕事を、他方がやり遂げたのである。
凡人の曇った眼には見えなくても、思慮深い歴史家の眼には、
「神」が「神意」の衣を織り上げていく様がはっきりと見える。
このように1868年の日本の維新は、永続する健全な革命がそうであるように、
正義と神意による必然から起きたものである。・・・
あらためてこのように内村鑑三の言葉を書くと
極めて鋭い筆で書く天才的な文筆家であることが分かります。
まさに内村こそサムライの中のサムライだという確信がますます出てきました。