私はこれまで、「よくぞ、このド田舎である高島市に移住してきたね」
と何度も聞かれました。
滋賀県庁の職員(高島保健所)は、
「このような貧乏県でしかも何も工場もない貧乏な高島市に来られましたね」と
しみじみ言われたのには驚きましたが、私はこのように答えました。
すべての高速道路は豊田に通じるといわれ、高速のインターも8か所、駅前どころか
至る所に高層マンションや住宅がどんどん建設され、愛知県の第二番目の都市ですが、
しかし、豊田市には何も誇れる人物が出ていません。
豊田市には歴史に刻み込む人物がいません。
まさに田んぼのど真ん中にいきなり浜松からトヨタ自動車が乗り込んできたのです。
しかし、同じ田んぼのド田舎ですが、
という誇りがあるのではないですか。
また滋賀県には世界に誇れるマザーレイク・琵琶湖があるのではないですか。
愛知県に劣るとか、豊田市に比べたら貧乏だというのは間違いですよ。」
と何度も高島市や県の方には答えてきました。
今から100年前ですが、内村鑑三が京都に住んでいた時、
西郷に影響を与えた日本の陽明学の祖である中江藤樹の町を訪ねているようです。
それではさらに内村鑑三の名著、「代表的日本人」から引用していきます。
・・・西郷が外から受けた影響では、同時代の二人の人物の影響が最も大きかった。
斉彬は、誰が見ても非凡な人物だった。
・・最も大きな感化は、この時代の精神的指導者であった人物から受けた。
日本の精神がその魂に宿ったような人物で、鋭い容貌と角ばった体つきは、
火を噴く富士山を思わせたが、内にはまことに誠実な魂を持っていた。・・・
藤田東湖は辞書で調べましたが、一切、西郷隆盛との関係は出ていません。
1806-1855 江戸時代後期の武士,儒者。
文化3年3月16日生まれ。藤田幽谷の次男。
常陸(ひたち)水戸藩士。徳川斉昭(なりあき)を藩主に擁立し,以後腹心として
藩政改革を推進。斉昭が謹慎処分をうけると免職され幽閉されるが,
嘉永(かえい)6年斉昭の幕政参加とともに海防掛,側用人,学校奉行などをつとめ
江戸で活躍。「弘道館記述義」は尊攘(そんじょう)家に影響をあたえた。
安政2年10月2日の大地震の際,小石川藩邸内で死去。50歳。
中江藤樹から影響を受けた人物と知っていましたので、
時代を超えた働きをしていた中江藤樹の凄さが刻み込まれていたのです。