西郷のいう天の声を聞くとは何かを内村はさらに続けて書いていますが、
武士道、サムライ精神とはまさに「天を敬う人」だと定義しています。
内村の言葉を聞きましょう。
・・・「天を敬う人」は、正義を尊重し、実行する人にならざるをえない。
「正義のひろく行われること」が、西郷の文明の定義だった。
西郷にとって、正義ほど天下に大事なものはなかったのだ。
自分の命はもちろん、国家さえ正義よりも大事でなかった。
西郷はこう言っている。
「正道を踏み、国をもってたおるるの精神なくば、外国交際は全からべからず。
彼の強大に畏縮し、円滑を主として、まげて彼の意に従順するときは、
軽侮を招き、好親かえって破れ、ついに彼の制を受くるに至らん」。
さらに続けて「国の凌辱せらるるに当たりては、
たとえ国を以てたおるるとも、正道を踏み、義を尽くすは政府の本務なる。
戦いの一字を恐れ、政府の本務を墜しなば、商法支配ところと申すものにて、
さらに政府にあらざるばり」。
そのように発言した西郷を、当時、首府に駐在していた外国の施設は、
そろって尊敬した。
このように一貫した考えをもっていたので、当然ながら、
西郷は自分の周囲で進行している運動の成り行きについても、
はっきりとした見通しをもっていた。
維新革命が達成されるはるか以前、志士たちの多くにとってさえ、
新政府がいまだ白日夢であった頃、西郷にとっては、
それは成就した現実だったのだ。
長年にわたる追放が解かれ、西郷をかつての重要な役務に呼び戻すために
西郷の流されていた小島に使者が来た時、
西郷は砂浜に新国家の建設のために考えていた方策のすべてを、
図に示しながら語ったと伝えられている。
その時、西郷の語った予見はあまりにも現実と合致しすぎていたため、
話を聞いた使者は、西郷は人間ではなく、
神だと、あとで友人に語ったという。・・・
内村は維新を明確に革命と言っていますが、
その革命の行く末を西郷は明確に見ていた予見者といいます。
なぜ西郷はそのような予見者であったのかです。
それは洗礼者ヨハネのようなサムライ精神に真に生きていたからにほかなりません。
私たちはヤンキーのアメリカに戦後、洗脳教育を受けてきました。
とくに食の支配(まさに食民地)となり果て、
マクドナルドをかじって育ってきた実に愚かな民族になり果てましたが、
もし西郷が生きていたら実に嘆かわしいと深く悲しんだことでしょう。
もう一度、サムライ・ファスティングに戻り、
質素倹約、粗食、少食の日本にしないと世界最悪の不健康な民族になり果てます。
まだ西郷隆盛について紹介していきたいところですが、
「代表的日本人」の2番手に進んでいきます。