鷹山はまだ16歳でしたが、
先回に書きましたような困窮の只中にある米沢藩当主となります。
現代でいえば倒産寸前の社長に就任したようなことです。
内村鑑三の文章に戻ります。
・・・藩主の地位に就いて2年後、鷹山は初めて自分の領地である米沢に入った。
お国入りは晩秋のことで、ただでさえ悲しい状況に、
自然がさらに悲哀の色を加えた。
行列が、捨てられて住む人もなく荒れた村を通り過ぎるたびに、
多感な年若き藩主は、目の前の光景に強い衝撃を受けた。
やがて、鷹山が乗り物の中で火鉢の炭を一生懸命、吹いているのに、
供のものが気づいた。
家来の一人が「よい炭をお持ちしましょう」と言った。
鷹山は「今はよい。すばらしい教訓を学んでいるところだ。後で話す」と答えた。
その晩の宿で藩主は家来を集め、
午後に学んだばかりの貴重な教訓について説明した。
「わが民の惨状を目の当たりにして、絶望していたとき、
目の前の炭が消えかけていることに気づいた。
大事にそれを取り上げ、そっと辛抱強く、息を吹きかけていると、
炭の火をよみがえらせることができて、実にうれしかった。
同じようにして、
わが領地とわが民をよみがえらせることができないだろうかと
自問すると希望が湧いてきたのだ」・・・
NHKテレビテキストで「代表的日本人」を解説された若松さんは、
この個所について、「息」という言葉を書いたことに注目されています。
息はギリシア語で「プネウマ」で風と伊吹という意味なのですが、
息吹は神の創造の力であり、三位一体の父と子、聖霊の聖霊をさす言葉なのです。
息を吹きかければ火と熱を帯びてよみがえる、
さらにそこにワラを入れれば瞬く間に燃え上がるということを
発見したのだと鷹山は、
宿でその発見を熱く語ったと内村はいいました。
まさに日本に必要なのは、
その聖霊の火なのだということを発見したという鷹山をして、
語らせている内村の中に日本のゆくべき道を語っているのです。
鷹山が米沢に到着するやいなや米沢の各地を歩き、
問題の場所や苦難の中にある人々を見て回りました。
当時の藩主は、部下から報告を聞いて対応するのが常でしたが、
鷹山はそれでは見えないものを目で確かめて、
支配者だけが生きていくだけではどうしょうもない、
藩の中の弱者が安心して暮らすことができるようにしていかなければならない、
それが鷹山がこれから行う改革でした。
現代の会社でいえば倒産寸前の会社役員会で議論ばかりしておらず、
まず問題の根源は現場にあり、
そこを見なければ何も進まない、何も変わらないと判断したのが鷹山でした。
役員会ばかりしている会社は危ないのですが、
鷹山は米沢藩の根本的な問題を直視、その解決の糸口を発見し、
改革を開始していきます。