鷹山は米の生産には水利の良し悪しが鍵だと考え、
長時間をかけて堤防、灌漑用水、
そしてトンネル工事などで驚くべき工事を成し遂げていきます。
内村はこのように書いています。
・・・荒れ地に花が咲き、鷹山の領地は豊かな実りを生むようになった。
それ以来、今日まで、東北地方で米沢だけは水不足に見舞われたことはない。
領民の幸福のため、藩主が見落としていたものはなかった。
品種改良された馬を他国から買い入れ、池や小川には鯉や鰻を飼い、
他国から鉱夫や職工などを呼び寄せ、商いの障壁となるものはすべて取り除き、
領内にある財源は、すべてあらゆる方法を用いて開発するように努めた。
こうして怠け者はいなくなり、見な働き者となったことも手伝って、
かつては全国で最も貧しい国であったところが、
鷹山の晩年には模範的な生産性の高い土地に代わり、現在もそれは変わらない。・・・
このような鷹山の革命は地味ではあってもまず経済の活性化からでした。
鷹山自らが質素倹約につとめ、
その資金を経済の活性化にまわして藩の勢いにまさに息を吹きかけたのです。
今、日本では高齢者の預金はただ無利息に近いものを銀行に預けておくだけで、
もし鷹山のように有効活用にそのお金を回して、
返済なの必要のない奨学金(貧しい学生支援)や中小企業支援金などに回すならば、
まさに日本は米沢藩のようによみがえることは間違いありません。
しかし、なぜかお上への依存体質は変わらず、
日本経済は膠着状態となっています。
そして企業も内部留保の余剰金は膨大な資金となって、従業員には還元していません。
それゆえに消費も冷え込み、すべて悪循環です。
上杉鷹山の経済活性化の奥義はいったいどこから来たのでしょうか。
上杉鷹山は米沢藩に着任した時に最初にしたことがこの改革の基礎となっています。
まず政治改革から開始したのですが、藩主など主要幹部が
全員、春日神社に赴き、神の前にへりくだり、誓いを立てます。
この光景はまさにイスラエルが国家の危機の時にとったこと、
すなわち断食して塵灰をかぶって神の前に出るのと類似しています。
内村はその鷹山の姿をみごとな筆で描いています。
そして内村はいいます。
これぞ天と地を結ぶ行為であったといいます。
西郷は天の声を聞きましたが、鷹山は塵灰をかぶって神の前に出た行為でした。
自分自身もそして会社も地方自治体も国家も再建のためには
まずすべてを清め(徹底した清貧)て、神の前に出たのです。
その儀式を単なる儀式で形だけでしたのではなく、
鷹山自身が率先して実行したのです。これこそ革命そのものなのです。
私がサムライ・ファスティングを求めて、「武士道」の原理と
武士道に生きた「代表的日本人」に書かれた5人を紹介していますが、
その輪郭が見えてきました。
今、日本に求められているのは、断食して塵灰をかぶって
神の前に出る以外に救いはありません。