日本に存在していたこと自体げ奇跡といわれた鷹山の米沢藩について、
内村は学者、倉成竜渚の記録を紹介しています。
「米沢には正礼市とよばれるものがある。
草履、わたじ、果物その他の品々が値札をつけて杭に下げてある。
持ち主はそれを見張ってはいない。
人々はそこへ行き、値札通りの金を置き、品物を持って帰る。
こういった市場で盗難が起こるとは誰も思っていないのである。
鷹山尾もとでは、最も位の高い重臣が一番貧乏である。
義政は筆頭家老で誰よりも藩主の愛顧と信頼を得ている人物である。
しかしながら、その暮らしぶりをみると衣食は貧しい学生と変わらない。
藩内には税関もなく、国境には自由な交易を妨げるものは何もないが、
それでいて密輸が企てられたことはない」
これはいつの世とも知れぬおとぎ話の夢の世界ではない。
地球上、誰もが知っている土地で実際にあった出来事である。
たとえこのようなことを行わせた偉大な人物の時代の現実が、
今は現実でなくなっているとしても、後世への影響は、
それが行われた土地と実行した住民の中に、確実に読み取ることができる。・・・
鷹山は天からの声を聞いたといえます。
つまり米沢の民はすべて天から託された民であり、もともと天は民を愛しておられ、
天は鷹山にもあなたは民を愛せよと告げられたといいます。
ですから民はその鷹山の教えを忠実に守り、
天の声にさからうことはいっさいしないのです。
まさに鷹山は天を愛することは民を愛し、天に一歩でも近づくことだったのです。
そして経済と道徳を分離せず、しかも融合しているのです。
ですから生活の豊かさと幸福は米沢のすべての民の上に臨んでいたのです。
これこそ天国の到来だといえましょう。
このような国(藩)が日本に存在したとはまさに奇跡としかいいようがありません。
私たちは物質が豊かな高度経済成長をとげてきた国です。
しかし、幸福度は世界最悪の国なのです。
豊かさはまずこころの中にあり、
豊かさは天と地が交わるところにおいてのみ実現すことを鷹山は知っていたのです。
そしてそこに至っていない場合、
まず真っ先に藩主である鷹山自身と
その部下の家老など民のリーダーたる国とかじ取りである者が
真っ先に貧者のような生活でも喜んで、
先頭を切って喜んでおこなうということは驚くべきことです。
今、この日本に欠けているのは
この経済の繁栄と心の豊かさがまったく真逆であり、
こころが最も低く、当然、幸福度も最も世界で低い国になっているのは当然です。
内村は明治の時代に著しくなった貧富の差を鋭く分析していました。
そのしわ寄せは農民にいき、
そして戦争に駆り出す最も最前線を農家の次男以下が担うことになるのです。