ユダヤ教では基本的な教育はまず家庭です。
両親は子供のために仕事をさっさと切り上げ、家に帰り、
子供たちに聖書を教えなければならないのです。
ユダヤの教育は家庭中心なのです。
しかも聖書を教えることなので、
日本のような名門校に入れる教育ママとはわけが違います。
ユダヤの家庭でもシナゴーグでも砂漠に立つ葉の茂った木だといいます。
日陰に守られて子供は育っていきます。
コミュニティでの家庭教育と連帯教育の要なのです。
日本は会社中心で教育は塾と学校にアウトソーシングしています。
ユダヤでは2歳から3歳で聖書の暗記を始めます。
そしてその成長を家族で祝います。
そして家族でほめて育てていきます。
必ずできると励まします。
失敗は叱らないのが鉄則です。
シナゴーグの礼拝では幼子から歩いていても、まったくどがめず、
教師は幼子に声をかけ頭に手を置いて祝福の言葉をかけます。
また宗教の進歩がその子供にあれば、みんなの前でほめたたえるのです。
また子供が説教台の上で祈ることも許され、
安息日の食事の席でも子供同士の喧嘩は大歓迎し、叱りません。
そしてここで自分はかけがいのない存在だということを知るのです。
つまり子供中心の教育方針は民族生き残りの手段でもあったのです。
子供に民族の希望を託したのです。
ユダヤ教では子供と親の双方がいたわりあい、
家族を守るということを求めるのが基本です。
ゆえに女性中心、母親中心にして回っていきます。
アメリカのジョーク
彼が30歳を過ぎても母親のマリアはべったりとくっついていたのを見ればわかる。
これは福音書を読めば分かりますが、
父ヨセフは全く出てきませんし、
マリアは十字架の処刑までもずっとイエスのそばにいたのです。
アメリカの一般家庭では子供が大人になったら別居して独立しますが、
ユダヤの家庭ではそうではなく、
母親が子供の世話をすることに熱心でそれをからかったジョークなのです。
まさにマリアの姿は、ユダヤの典型的な母親の姿なのです。
父親は朝早くから祈りにでかけそのまま仕事をして、昼もシナゴーグで働き、
シナゴーグは母親の宗教活動を免除されていますので
家庭で育児、子供の教育に専念するように免除となっています。
どこでも女性の地位は低く、ユダヤだけはユダヤ人の母親から生まれたら
子供は自動的にユダヤ人になるので地位は高く、
女性が中心で一族の形成がなっていたのです。
ユダヤ人は母系家族なのです。
つまり母親が子供を産まないと一族は増加しませんので
母親の存在は必然的に大きなものとなるからです。
お土産もその家庭のボス最年長の祖母となります。