7月9日から6回に分けて水の健康効果を書いて来ましたが、
さらに「水飲み健康法」について書いていきます。
18日から昨日の8月6日まで酒の害について書いてきました。
酒はたとえ1滴でも有害というのが最近の研究で明らかになってきました。
その反対に酒飲みではなく「水飲み健康法」が大変注目されています。
最近、書店では「水飲み健康法」に関する本がかなり多く出版されていますので、
もう一度、ファスティングの視点から「水飲み健康法」を再認識するためにも
「水飲み健康法」のポイントとファスティングとの関連を書いていきます。
まず水と真逆の酒についてですが、
世界人口の33%を占めるキリスト教の国々では禁酒運動が盛んです。
ウィキでは欧米の禁酒運動について下記のように説明されています。
19世紀末から20世紀前半にかけては欧米諸国で
社会改善運動や道徳立て直し運動が起こると同時に禁酒運動も盛り上がりを見せた。
ヨーロッパでは1829年にアイルランドで禁酒運動団体が発足し、
1830年代にはスカンジナビア諸国、スコットランド、イングランドでも団体が発足した。
英国では1835年に「全国絶対禁酒教会」が発足、
プロテスタント教会が集会を開き、アルコールの代替として紅茶を勧め、紅茶が広まった。
19世紀後半には
スイスやドイツ、フランス、ロシアなどでもキリスト教の教職者らによる禁酒団体が
成立している。
1733年4月24日にショーニー族の"ショーニー・インディアン"という団体による
禁酒運動が起きた。
これはアメリカで初めて禁酒運動を起こした団体であり、
彼らは総督であるパトリック・ゴードン(英語版)に、
町にラム酒の樽を持ち込ませる事を禁止する様要請した。
結果、ペンシルベニア植民地評議会でこの要請は受け入れられ、
4年間の飲酒は禁止となった。
また、30ガロン以上のラム酒を町に持ち込んだ場合、
相手が白人だろうとインディアンだろうと関係なく
ラム酒の樽に穴を空けそれを押収する、という結論に至った。
アメリカ合衆国では1869年に政党として禁酒党(Prohibition Party)が結成され、
大統領選挙では当選の見込みがないにもかかわらず度々20万票台を集めている。
1873年にはキリスト教婦人矯風会(Woman's Christian Temperance Union)が発足し
翌年には全国的に活動を始め、キャリー・ネイションら熱心な活動家が現われた。
また、世界の20%を占めるイスラム教では教義上、禁止です。
アッラーは第5章90-91節『信仰する者たちよ、
酒と賭け矢と石像と占い矢は不浄であり悪魔の行いにほかならない。
それゆえ、これを避けよ。きっとおまえたちは成功するであろう。
/悪魔は酒と賭け矢によっておまえたちの間に敵意と憎しみを惹き起こし、
おまえたちをアッラーの唱念と礼拝から逸らそうとしているにほかならない。
これでおまえたちもやめる者となるか。』を下し給うた。
そこでウマルは、「主よ、私たちは止めました」と言った。
世界の半数が飲酒に厳しい国々であることを知っておく必要があります。
ゆえに飲酒は世界の流れに反することであり、
酒を水に転換していかなければならないのです。