文明の発達は必ず、疫病がついてくるものです。
人類の歴史をみても13世紀のハンセン氏病、14世紀のペスト、16世紀の梅毒、
17~18世紀の痘瘡、発疹チフス、19世紀のコレラ、結核、20世紀はインフルエンザ、
ガン、心筋梗塞などの心臓病、そして21世紀になって新型コロナウイルス感染症です。
疫病は文明を終焉させて、新しい文明を築いていきます。
1348年の黒死病
(ペスト菌の感染によって起きる感染症。症状は、発熱、脱力感、頭痛などがある。症状は感染後1-7日後ほどで始まる。別名黒死病は感染者の皮膚が内出血によって紫黒色になることに由来する。感染ルートや臨床像によって腺ペスト、肺ペスト、敗血症型ペストに分けられる。人獣共通感染症かつ動物由来感染症である。ネズミなど齧歯類を宿主とし、主にノミによって伝播されるほか、野生動物やペットからの直接感染や、ヒト―ヒト間での飛沫感染の場合もある。感染した場合、治療は抗生物質と支持療法による。致命率は非常に高く、治療した場合の死亡率は約10%だが、治療が行われなかった場合には60%から90%に達する。・ウィキ)
この黒死病が中世を終わらせ、近代化へと展開していきます。
「世界史の窓」ではこのように説明されています。
・・・14世紀前半は、北イタリアにおいて、
ルネサンスといわれる文芸や美術での動きが活発となっていた時期であった。
このときのフィレンツェにおける流行の様子は、
ボッカチォの『デカメロン』にくわしく描かれている。
またこのころ、ヨーロッパ各地の教会や墓所には
「死の舞踏」と言われる壁画が造られた。
死に直面した多くの人が、改めて“死を忘れるな”(メメント・モリ)と
強く意識されたことが表されている。
その権威を失っていった。
一方、農民の労賃が上がったことは農民の流動性を高め、
人材の払底によって新しい人材が登用されることによって新しい価値観も生まれた。
14世紀に起こった黒死病の大流行による農奴・農民の人口の激減は、
彼らの待遇を良くしなければならなくなり、また労賃も値上がりした。
そのためやがて領主は農奴にたいする強制を強めるようになった
(この動きを封建反動という)。
それに対して農奴はさらに反抗して農奴解放による自由を求めるようになった
(つまり社会的矛盾が深刻になった)。
この動きは農民一揆として長期的に続き、徐々に農奴から解放され、
自由を獲得したて自営農民となるものも現れた。
このような動きが
14~16世紀にヨーロッパ各地に広がった封建社会の崩壊の意味であり、
中世から近世・近代に歴史が動いていく背景であった。
ペスト後」のヨーロッパは、恐怖の後、気候の温暖化もあって、
ある意味では静謐で平和な時間にルネサンスの盛期を迎える。
同時にヨーロッパ社会は、まったく異なった社会へと変貌し、
強力な(近代)国家の形成を促し、中世は終焉を迎える。
ペストの流行を境にヨーロッパの疾病構造も変わった。
ヨーロッパの都市化が結核を増加させ、
結核によってハンセン病患者が死んだので少なくなったと考える研究者もいる。
ヨーロッパで黒死病が大流行した14世紀は、
大航海時代の前ではあるが、地中海でのイタリア商人による活発な商業活動、
十字軍の派遣などで遠隔地を結ぶ交流がすでに行われていた。
このような人類の商業活動・交通の発達を「文明」というならば、
まさに文明が感染症を世界的流行をもたらしたと言うことができる。
インディオの激減の要因となった。
また新大陸から旧大陸に梅毒がもたらされ、
いわゆる疫病交換がおこったともいわれている。
2020年の新型コロナウィルスが航空機(あるいはクルーズ船)で
世界に拡散、しかも黒死病の頃と比較できない早さでパンデミックとなったこと、
黒死病の時と同じようにみんなが門を閉ざして家に閉じこもった体験は、
まさに私たちも世界史の中にいる実感となったのではないでしょうか。
歴史に学ぶことによってコロナ禍をどう受け止めるか、ヒントになるだろう。
“元凶探し”の愚行は避けなければならないが、
大きく捉えれば封建社会が崩れ近代社会への転換をもたらしたのと同じような、
大きな社会的変動に向かっていくことも予想しなければならないだろう。
当面はコロナ禍による経済不況が失業や貧富の差の拡大を深刻化させないよう、
国が対策を立てることが必要であるが、
経済優先、成長第一のいわゆる新自由主義的発想から
転換する必要があるのではないだろうか。