私が43歳の時に断食を体験し、断食に目が開かれて30年になります。
そして20年営んできた保険代理店を辞して、断食施設を開設したのは1995年でした。
この年はいきなり阪神淡路大震災で始まり、
3月にオウム真理教のサリン事件が起こり、ここでまずこの新興宗教が
・断食とヨガで信徒にするための執拗で巧妙な勧誘をしていた
・宗教活動を隠して、健康のためにと断食とヨガを活用していた
このことでオープンしてすぐさま私の断食施設を尋ねてきたのは、
何と公安警察でした。
昔の特高のような思想犯取り締まりの部署です。
しかも近くの健康保険施設にオウム真理教で逃亡している者が宿泊した理由でした。
それ以後も定期的に公安の監視官が来るし、
地元の派出所の警官が定期的に来るなど断食道場への監視であることは
まる見えだったのです。
つまり断食施設への異端視と蔑視でした。
それだけではありませんでした。
JA足助病院が唯一の病院でしたが、
こともあろうに病院長が管轄の東賀茂郡
(5町1村=現在がすべて豊田市になっている)のいたるところで
「絶対に断食施設に行くな、断食してはならない」と言いふらしていたのです。
そのため少なくとも23年間、
東賀茂郡内からは一人も断食に来た人はいませんでした。
私の生まれ故郷、いなべ市でも同じですし、
つまり農村都市であればあるだけ断食への極端なアレルギーが強いのです。
それは熱心過ぎる宗教へのアレルギー反応と同じです。
創価学会やキリスト教への偶像拒否への宗教へのアレルギー反応と同じなのです。
かくして断食へのアレルギーは農村部やそれに近い地域である
北陸3県、山陰などから藤樹の宿に来会者がないのも納得です。
こうして日本は断食への取り組みが
まさに世界から100周遅れとなっているのです。
これを何とか打破しなければならないという思いから
「一般社団法人日本超少食ファスティング協会」発足に至ったのです。
そしてこの協会は単に協会ビジネスを起業するだけではありません。
コミュニティ形成なのです。
しかし、日本ではこのコミュニティ形成へのアレルギーも極めて強いのです。
どうもこのことも含めて原因を探っていくと
あれから400年を経過していても力強く残っていることが大きな要因なのです。
私の生まれ故郷、いなべ市にはキリスト教会は一つも存在していません。
まだ高島市には7つの教会があるのとは全く違い、
いなべ市は大きな工場はたくさんできたものの相当、遅れています。
何とかしてここを打破しなければならないという熱い思いが
この30年間、日増しに強くなっています。
豊田市で運営していた断食施設では、先に述べたような理由で、
地元から完全に干されていましたので完璧な孤立化、
村十分状態でしたから、何もできませんでした。
少なくとも高島市ではそうありたくないので、
どのように示されて歩むのかが問われます。
その勝負の年が今年、2021年なのです。